dream

□片側通行で鉢合わせ
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店長室のドアを軽くノックして、すぐに返ってくるはずの返事を数秒じっと待つ。今日は本当に疲れてしまった。機械の故障、後輩のミス、客の大暴れ…とにかくこの一日に一週間分くらいの面倒が詰まっていた気がする。だから早く帰って眠ってしまいたい…のにいつまでたっても中からの反応がないことにイラつく。もしかしたらトイレかどっかにでも行ってるのかもしれないし、だったら待っていようと思いながら勝手にドアを開けてみた。

「一条…?あ、何よいるんじゃないの」

モニターの前に座っているのは間違いなく一条だったし、ここまでの無反応で何となく彼の機嫌が悪いのだということは分かった。何故かは分からないし知ったこっちゃないのだけれど。彼の態度は気にしないことにして私は独り言のようにホールの報告をして無言で怒気をぶつけてくる一条の目の前に日報を提出。

「…じゃ、私はこれで帰るから」

明日には元に戻っていればいいけど。そう思いながらもやっと帰れると少し力を抜きながら踵を返したその時、いきなり手首を掴まれた。ふいうちに驚いて一条の方を向くも、彼はこちらを見ようとしない。ただ一言「その上着脱げ」と訳の分からない命令。

「何でよ…あのねえ、」

あまりの理不尽さに文句の一つでも言おうと口を開いたのだが急に向けられた視線にドキリとして言葉が途切れる。こんなこわい顔、珍しい。まるで私に対して怒っているようで、それでも心当たりはないし、ますます意味が分からない。
困惑する私に痺れを切らしたのか、一条は勢いよく立ち上がって襟をぐいとつかんで無理やり上着を脱がせようとしてくる。実は少し奮発して買ったばかりのスーツをいきなり駄目にされてはかなわないと、強引な手を振り払って距離を取る。

「…ほら、これでいいの?で、何なの?」

さっと上着を脱いでこれでどうだと胸を張った。と、一条は私の手から引っ手繰る様にしてそれを奪うとあろうことかすぐそばにあったゴミ箱に放り入れたのだ。さすがに予想していなかったその行動に口が開く。

「な、何すんのよばか!」

一条を殴るのと上着を取り返すのとどちらが先か一瞬迷ったが結局後者を選んでゴミ箱に駆け寄る。が、それはならずいきなり強い力で突き飛ばされたかと思った時には机の上に押し付けられていた。上から威圧的で苛立ちを湛えた目に見つめられて無意識にびくりと身体が震える。

「お前、どこであんなにおいつけてきたんだ」

押さえ込まれ脅され、喉元に寄せられる唇。腰が机の縁に当たって痛いのよりも熱い呼気を感じて仕方ない。

「何の話なのよ…離して、って…」

抵抗して体を押し返そうとすればするほど強く捕えられて身動きが取れない。におい、なんて言われてもよく分からない。それにそんなのにいちいち気付くなんて、まるで気にしているように。心の中に都合のいい考えがくすぶってきた矢先、ぬるりと首筋を這った舌にまた思考を散らされる。

「不快だな…どこの男のにおいだ?言ってみろよ」

「…そんなの、知らない、やめてよ、訳分かんない…」

…嫉妬してるみたいだと思った。だけどこんなにストレートに思いをぶつけられたのは初めてで、それが一番戸惑う。

「客だって、女店員がみっともなくこんな雄のにおい付けてたら嫌な気持ちになるだろうな」

ほら、いつもそうやって自分の意見じゃないみたいに言うから。私もそう。だからいつもお互いの本心が見えなくて、近付けない。そして相手の言葉の意味を汲み取って理解しようとするのに後から余計な言葉を付け足して曖昧に隠してしまうから。近付こうとして突っぱねられるのが怖いから先に突き放してしまおうとする。

「普通の人は気付かないもの、私だって分からなかった、それに…別に私あんたのもんじゃないから、誰のにおいつけてたっていいじゃない」

きっとそういうところは似ているんだろうな、言うつもりのなかったことを言いながらそう思う。今一条の目を見たら何だか泣いてしまいそうで出来る限り顔を背けてぎゅっと目を閉じた。

「…俺のものになれば、あんな真似しないんだな?」

逃がさないと、聞かせるように低い声で耳元でそんなことを囁かれた。びりっと脳みそが痺れるような感覚がして、身体がかっと熱くなる。

「何で…何であんたが自分以外の男のにおいを嗅ぎたくないからって、私があんたの女にならなきゃいけないのよ」

身体は動かないから、口でだけは最後まで抵抗しようとそう言う声はほんの少し震えている。それに、拒否するために一条のスーツを掴んだ手は今や縋るようにそうしているようにも思えてきて自分の気持ちもわからない。
一条は舌打ちをして再び私の首筋に顔を埋めて、今度は少し歯を立てる。そして鎖骨の辺りに吸い付いてあろうことか見えるところにちくりと痛みを残してく。

「ばっ…やめ、何してるのよっ!」

「…分かってるくせにお前はそう言う」

非難がましく呟いたかと思えば掻き抱くように腕の中に閉じ込められた。くしゃりと乱暴に髪の毛を撫でられるのがどうしてだか心地良い。…ここまでされて初めて、そうしたいと思ったままに彼の背に腕を回すことができた。

「あのにおいをつけた男は何だ?知り合いか?恋人か?どうせお前の表層しか見てないんだろ?そんな奴にかすめ取られてたまるか」

「…どうして、」

「まだ分かんねえのか。それとも、信じられねえのか」

両手で無理やり一条の方を向かせられ、視線が絡まる。こんなに真っ直ぐに見つめ合ったことは無かった。いつも意地を張って、自信を持てなくて、相手の目に映る自分を見ることが出来なかった。


「お前が欲しい」

直後有無を言わさず唇を塞がれ、返したかった言葉は喉の奥に押し込まれる。夢中になって一条を感じられたらその後に包み隠さず全部伝えたい。においはきっとフロアで暴れてた男性客を取り押さえるときについたこと、嫉妬してくれて少し嬉しかったこと、あと、全部あげるから出来れば離さないで欲しいってこと。

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