dream2
□約1.5m前方
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多忙で代わり映えの無い毎日のせいで当たり前のように感じられるけれど、ふと立ち止まって眺める景色はどれも彼が作ったものなのだと改めて納得する。
「…これでは甘いか…」
私には気付いていない様子で何やら小さな声でぶつぶつと独り言を言いながら沼の釘整備している店長さんの様子を、手摺に寄りかかって束の間サボらせていただきなが
ら眺める。
一条さんが店長になってこの店は変わった。その象徴として、目に見える形ではあの沼。見えない形では…色々。従業員の態度とか上下関係とか、客の質まで少し向上し
たような気がする。もちろんそれは店側にとって良いことであり客側にしてみれば結果的にマイナスなのかもしれないが、そんなことはまた別の話。
…とにかく一条さんがここを変えてくれたこと、私はとても感謝している。
「…おい、堂々とサボってるなんていい度胸してるじゃないか」
「あ、おはようございます一条さん」
いつの間にかこちらを睨んでいた一条さんに元気に朝の挨拶。そう、円滑な人間関係は挨拶から始まるのだ。反省の様子の無い私に説教するのは時間の無駄と見たのか、
ふんと鼻を鳴らして沼に向き直る一条さん。
「いくらここでの勤務が長くて勝手を良く知っているからと言っても働かない奴をいつまでも雇ってはおけないな」
「分かってますってば。でも今日は今まで一回も休憩無しで働いてたんですよ?ちょこーっとくらい休ませて下さいよ」
とおうと思えばとれた休憩時間を敢えてこの時間までとらなかったのは一条さんとこうしてお話ししたかったからだと言えばどんな顔をするだろう。興味無さそうにそう
かと一言で終わるか、仕事をスムーズに進めるためにも時間を守れとくどくど説教されるか…想像出来るので余計なことはつけ加えないでおく。
「…それなら休憩室に行けよ。紛らわしいから休憩中のやつが店内ふらふらしてんな」
「いいじゃないですか、今このフロアお客さんも他の人もいませんし、ね」
二人っきりじゃないですかぁ。意味ありげに笑ってみるも、この程度の冗談一条さんは何も聞こえなかったかのようにスルーしてしまう。こういうとこは前の店長と比べて面白みに欠けるけど、まあ悪いとは言わない。
「…ねえ一条さん」
一段飛ばしで階段を下りて、仕事熱心な一条さんの背中に再び話しかける。
「ずっとここにいてくださいよ」
「無理な相談だな」
「やーっぱり」
そして暫くコツコツと釘の音だけが響くホール。いつの日か一条さんがこの音を響かせることも無くなるのだろう。それも多分そんなに遠い日じゃないはずだ。そして私はそんな風に変わっていく日々をただ傍観しているだけなのだろう。
「…こんなところにいつまでもいられるか」
吐き捨てるような台詞。その野心の炎は、私には眩しすぎる。毎日毎日現状を守る為だけに働いて来るはずも無いいつかを夢見ることも忘れた私が死んでいるのだとすれば、彼は何と生き生きしていることか。それが羨ましくもあり、妬ましくもある。どっちにしても茨の道を歩く勇気の無い私なのだけれど。
「まあ、居るうちは面倒見てやってもいいけどな」
いつの間にか止まっていた調整の音、そして気付かない内に私を見下ろしていた一条さん。その顔は今日も自信に満ち溢れている。
「ねえ一条さん、私も付いて行っていいです?」
嘯いて見上げると、一条さんは意外そうな顔をした後意地悪そうに笑って私にデコピンをかました。遠慮の欠片も無い強烈な一撃だった。
「ま、来れるもんならな。止めはしないぞ」
そう言い残して次の仕事に向かう一条さんの姿は、もう一度だけ夢でも見てみようかという気分にさせてくれる。あと、一人きりで歩いているその背中を支えたいとも。誰も居なくなったの真ん中で、なんだか可笑しくなって一人きりではははと笑った。そして一呼吸おいて背伸び、一条さんが向かった店長室までの道を見上げる。
「さて、今日も一日頑張ろうか!」