dream2

□夏の匂い
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ここ数日の口癖のように暑い暑いと呟いていたら、幸雄が少しイラついたように「そんな何度も言ったって涼しくなりはしないんだから黙ってろ」といわれたから、もう丸二日喋ってない。その程度のことでケンカだなんてつくづくバカらしいとは分かっているのだけれど、今更引っ込みがつかなくて維持を張ってしまうのが、夏。やたら渇く喉を冷やした麦茶で潤して大きく溜め息。幸雄には背を向けたまま。吐き捨てるように小さくこぼした単語が一昨日からの禁止ワードだと気付いたのは新聞を読んでいたはずの幸雄がそうだなとぶっきらぼうに返事をしてきたからだった。

「…どっか、行くか?」

何でそうなるのだろう、ギラギラ眩しい太陽の下にわざわざ出ていくなんて自殺行為だと思うのだけれど。それこそ私は昨日まで以上に暑いって言ってしまいそうなのだけれど。

「…行く」

それからまた無言で各々が身支度を整えて、私が帽子を被り終えたら幸雄はちょうど玄関のドアを開けてくれる。素直にありがとうが言えずに、それでも口元を緩めて頷くように頭を下げると帽子越しに頭をぽんと撫でられた。
どこに行くか聞いてなかったけど幸雄にアテがあるようだったから黙ってついていくことにする。蝉の鳴き声を聞きながらジリジリ焼ける炎天下の道を歩いて、電車で数駅先まで揺られて。道中の商店で買ってもらった冷たいラムネを手に緑の見える方へ歩けば段々木陰が多くなってくる。どうやら森林浴するつもりらしく、舗装されていない細い道をゆっくり歩いてく。

「遠足みたいだね」

こんなことならお弁当作ってくればよかったなあと笑うと、幸雄はさっきまで全然そんな気分じゃなかったくせになと余計なことを言ってくる。それもまあ、幸雄なりの冗談みたいなものだと思えばもう怒る気にもならない。大人しくそうだねと返せば小さな声でごめんと謝罪の言葉を口にしたから、何も言わずに空いた手と手を繋ぐ。汗が滲んでも離す気にはなれなかった。

「…ここならまあ、割と涼しいかと思ってよ」

どうやら近くに川があるらしく、程なくして水の流れる音が聞こえてきた。自分たちのほかに人はいないし少しはしゃぎたくなってしまい、幸雄の手を引いて走ってみる。冒険気分が味わいたくてわざわざ獣道に逸れて先へ進むと頼りにしていた水の音は遠くなってしまって、藪をかき分けた5メートルほど下方に川を見つけた。

「よし、下りてみよう!」

「馬鹿お前…そういう格好でも無いだろ」

幸雄がすっかりやれやれな気分になっているのは口調からして分かったけれど、童心に返った私は止められない。朝までムカっとしてた自分はどこへやら、木の枝やらを掴みながら鼻歌交じりに斜面を下る。途中体を支えてくれる幸雄の腕にドキっとしたり肝心なところで足を滑らせる幸雄に苦笑したり、何だかんだで楽しそうな表情を浮かべる彼がやっぱり好きだなあとぼんやり再確認。
足元を砂まみれにしてなんとか川の近くまで寄って額の汗を拭う。汚れたし疲れたけれど楽しかった。


「…まあ、楽しそうで何よりだよ」

清流に足を浸けすっかり温くなってしまったラムネを一口。思っていたより喉が渇いていたようで、あっという間に半分以上無くなってしまう。木漏れ日が気持ちいいと感じるほど涼しくて、とても気分がいい。それにしてもどっか行こう、でどうしてここを選んだの?と尋ねてみると、幸雄は短く「小さいころよくこの辺で遊んでたから」と答えた。

「…夏でも、ここなら涼しかったっていうの、何となく思い出してな」

「ふうん…なんか、嬉しいかも。そんな場所に連れてきてもらえて」

え、と不思議そうな顔をする彼の態度に少し恥ずかしくなってしまったから私は脇に置いていた帽子をするりと滑らせ水の流れに乗せた。


「あっ、帽子!幸雄、取って!」

「何してんだお前…」

どんくさいだとかなんとか文句言いつつばしゃばしゃと水の中を歩いて帽子を追いかけてくれる彼の背中を、笑みを堪えきれないまま見ている。さっきまで繋いでいた手に残る熱と対照的な足先の水の冷たさを意識しながら、思い切り夏を感じた。

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