羅針盤と銃一丁

□坂井の花嫁
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からん、ころん、からん、





敷地に響くは、
始まりと同じ高下駄の音。


違うのは、
それを奏でるのが二人並んでいるという事で。






ゆっくりと敷居を跨げば、
世界は音を取り戻したかのように彩ずいていく。


煩く鳴き続ける蝉の声が、
やけに現実感を生んでいた。

日は未だそう傾いておらず、
少しばかり西へと動いた程度。

それは、やはり摩訶不思議。
モノノ怪の領分では、
人の領分の時ですら変わるのだろう。







「…んあ?
おおい、薬売り、彩売り!
一体全体、今日の輿入れはどうなっちまったんだい?」




屋敷の前には、
入るときと変わらずつけてある籠。


それは、
花嫁を新しい生活へと導く小さな籠。

知らぬとはいえ、もうこの屋敷には入るべき花嫁はいないというのに、


まるで、

まだ誰かを待っているかのようなその姿に、彩売りは暫し瞬きを忘れて。








しかし、








―猫、猫、こっちよ、こっちこっち





どこからか降ってきたように、
優しく招く穏やかな声。





「……こいつぁ…、」





弾かれたように視線を上げれば、
その瞳は一人の美しい花嫁を捉える。
足元には、


やはり、





はしゃぎ跳びはねる小さな姿。









そして、
隣で立ち止まっていた薬売りもまた、
その存在を見とめて目を見開く。





「さっきから、
誰も出てきやしねえ…」




そう言った籠屋の呟きは、
未だ未だ鳴きつづける蝉の唄声に溶けていく。





だが、





「…いや、」





薬売りはゆるりと口角を持ち上げる。





彼女は、今度こそ歩みだしたのだ。

新しい、世界へと、

かつて夢を託した大切な存在と供に。









「こいつぁ、めでてえ。
…いい、門出じゃあねえですかぃ」






彩売りの声に同意するかのように、
蝉がより一層鳴き声を増した。










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