羅針盤と銃一丁

□老いた人
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「化猫の“真”は、
…あんたか」



薬売りの視線の先には、
一人上座に佇む老人の背中。







「話してくれ」




「…話した所で、何になる」





諦めというよりは
思い出したくないといった感情の滲むその言葉に、彼は眉を歪めて低く唸る。




「…何に?」



この状況下でまだ口を開かぬ伊行に、
薬売りは少し苛立ったようにそれを復唱した。

すでにこの部屋の襖には化猫が迫り、
今にもこの屋敷に息づく命全てを飲み込もうと渦巻いている。




「あれはもう、抑えられんのだろう。
儂はもうじき“あれ”に殺される…」



その言葉に、薬売りは
彼が己の築いたもの全てを持っていくつもりなのだと悟った。



人も、物も、屋敷も。




自らを取り巻く環境の全てをまきぞえる気でいる。






「…あんたが殺されようが、
殺されまいが、どうでもいい」



だが、



薬売りはゆっくりと進み出す。


伊行の前へ、
加世の前へ、
小田島の前へ、





未だ残る命の前へ。





「化猫の“真”があんたなら、
“あれ”を生したのはあんたなんだ。」




全てを背負い、
彼は己の手に収まっている
闇を払う摩訶不思議な剣に力をこめた。



「…俺には、あんたの話が、

必要…なんだ…っ!!!」




生と死の領分を遮るように、
その力を化猫にぶつけていく。
獲物を追い詰めた目をしていたそれは、
突然の介入者に驚き飛びのいた。

そして襖の中の闇をぐるりと回転し、
やがて一匹の猫の形へと寄り集まる。



「…俺は、“あれ”を斬らねばならん。
あんたには、話す、義務がある。」




薬売りが言い放つ。

酷く冷静で冷酷な響きをもつ言葉。
突き放すようなそれは、
しかしどこかで懇願の意を持っていた。








「…義務?」






伊行が表情を変える。


一体何が彼の心を動かしたのか、
その目には過去を映し出している
微かな懐かしさと後悔が浮かんでいた。



「…一寸した、
鬱憤晴らしの…つもりだった。」




呟くように
伊行の口から言葉が零れる。



ゆっくりと、ゆっくりと
彼の独白が始まった。








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