羅針盤と銃一丁

□すがる恐々
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札の文字が、
鈴の音に沿うて移ろっていく。

それは、まるで何かを探すかのように壁を滑り、
勝山や笹岡たちの後ろの障子を過ぎた。



薬売りと彩売りがその動きを目で追っている中、ふいに水江が呻く。

気がついたようで、
虚ろな目で数秒天井をさ迷うと、
視界端に映った己の夫に呼び掛けた。


途端に、
今まで無表情だった伊顕の顔が輝く。
そして幼子のように水江に縋り、
何度も何度も名を連呼した。

己の娘が死んだ時でさえ
見せなかった反応。


その様子を、
彩売りは至極不愉快そうな表情で眺めた。






布団から身を起こし、水江はぼんやりとした表情で部屋を眺める。
そこにいつもの日常を探すも、
彼女の目に移るのは
それとは程遠い現実で。



否定するかのように後ろを向けば、
在ったのは変わり果てた愛しい姿。


もう動かないその骸に、
水江は一気に現へと引き戻された。


「…水江…?」




布団から這いずるようしてに出た彼女に、
伊顕は顔を上げて呼び掛ける。
しかし、反応が返って来ることは無く。



「…ごめんねぇ、真央ぉ…
…可哀相に…」



何に対しての謝罪なのか。
それを測るには、判断する材料が余りにも少ない。

水江は、一心に真央へと向かって這っていった。
彼女の顔に掛かる布はぴたりと沈黙しており、その下の主が呼吸をしていない事を示している。

震える手つきで顔布を剥げば、
そこにはとても穏やかな顔をした真央が目を閉じていた。
その面には、彩売りが施したであろう
美しい死に化粧が乗っている。





「ぅう…っ、あ…っ、あああああ…!!」




水江の表情が、絶望に染まる。
見開かれた目には、目前の現実を拒否する意が浮かんでいた。
口からは、
“声”としての機能を失った悲鳴とも嗚咽ともとれる“音”が漏れた。



そんな水江の様子に
臣下達が同情の視線を向ける中、
薬売りは急に色を失いだした札を指でなぞり睨んだ。


だが、直ぐに外の気配の行方は知れた。

真央の眠る部屋を区切っている障子が、
その色を変えたのだ。
それは、びっしりと施された札や紅が反応を示したからであった。




喉の引き攣るような咆哮、
何かを怨むかのように、
はたまた、失われゆく何かをかき集めるかのように水江の爪が空をきる。

それに答えるかのように、
赤紫に染まった障子の向こうのまがまがしい気が膨れ上がった。





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