君が世

□おっかいものおかいもの
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鍋の中でごろごろと揺れる本が重い。

それに押されて転がり出てしまった羽筆を足で蹴りあげて鍋へ戻せば、隣で同じく重そうにしていた針井殿が驚いたような顔をしてこちらを見た。


「海鳴、今のすごいね」

「左様に御座りまするか?」

「うん、なんかかっこよかった」



…きらきらとした視線が痛い。



先刻立ち寄った、
明るい女主人が目立つ呉服店。
制服の採寸をするからと男女別々の場所に立たされている間に何かあったらしい針井殿は、先程から頗る機嫌が悪かった。

だが他の店や商品を見て回っているうちにそれもだんだんと回復しているようで、拙者は微かに安堵の息を吐く。



「さ、次は杖だ。
杖なら、オリバンダーの店が一番だな」


にっこりと笑った森番殿は、拙者達の肩を抱くと古めかしい薄暗い雰囲気の店へと押しやった。
そして、ちょいと先に行っててくれ、と言い残すと、何やらいそいそと去って行ってしまう。

残された拙者達は顔を見合わせると一体何なんだ?と首を傾げた。


「“オリバンダーの店”
紀元前382年創業…、だってさ。
君、本当だと思うかい?」

「さあ、
やたら古めかしいとは思いまするが」

「そうだね」


針井殿と供に少しへっぴり腰気味に店内へと入れば、押し開いた扉の奥から ちりんちりん、と鈴の音がする。
それに思わず 罠か!?と忍の癖が反応してしまったが、幸い、針井殿は奇天烈な店内に目が奪われているようで右手に構えたクナイに気付かれる事はなかった。


すると、


「いらっしゃいませ」



いきなりその場に息づいたかの様に ぽっと出た気配と供に、がたがたっと古い音を軋ませる梯子が何故だか横から流れてきた。
そして、それにしがみつくようにして乗っていた老人が鉛色に濁った目を笑わせて降り立つ。


「まもなくお目にかかれると思っていましたよ、ハリーポッターさん。
それと、
お話は聞いています、海鳴さん」

柔らかな声と反対に、老人の目は薄暗い中に月の様に奇しく光る。

「お母さんと同じ目をしていなさる。
あの子が此処に来て、最初の杖を買っていったのがはんの昨日のことのようじゃ。
あの杖は26cmの長さ。柳の木でできていて、振りやすい、妖精の呪文にはぴったりの杖じゃった」

懐かしむ様に目を細めた老人は、ゆっくりとした歩調で針井殿へと近寄った。
その間、瞬きが一度もないのがなんとも怖い。

それに比例するように、針井殿も引き攣らせた顔をしてじりじりと後ずさる。

「お父さんの方はマホガニーの杖が気に入られてな。28cmのよくしなる杖じゃった。
どれより力があって変身術には最高じゃ。
いや、父上が気に入ったというたが…、実はもちろん、杖の方が持ち主の魔法使いを選ぶのじゃよ」

ずずい、と大きく詰められた一歩により、針井殿と老人は殆ど鼻と鼻がくっつく程に近い距離となった。
拍子に彼から小さく漏れた「ひっ、」という悲鳴は、きっと気のせいではないだろう。

その隙に、拙者は己は巻き込まれぬようにとじりじりと壁際へと逃げる。
ちらり、と振り返れば、老人はおののくような手つきでその白く細い指で針井殿の額の稲妻傷に触れていた。


「これが、例の…、

悲しい事に、この傷をつけたのもわしの店で売った杖じゃ。」


静かで、それでいて唸るような酷い嘆きを孕ませた声だった。

それに戸惑い眉を寄せていた針井殿が
こちらへ助けを求めるような視線を投げてきたので、拙者は一歩そちらへ歩み寄る。

老人はこちらをちらりと見ると、さて、と手を打って場の空気を入れ換えた。


「まずはどちらからいきますかな?」

ぎょろりとこぼれ落ちそうな満月の目が交互に拙者達を見比べ、その視線になにやら背筋にひやりとしたものが伝い落ちる。
それを振り払うように一歩出れば、
己が先に名乗りを挙げた。


「では、拙者からお願い致しまする」

「海鳴さんからですね?
利き手はどちらですかな?」


そう問われ、拙者は両利きなのだと告げれば彼は珍しいと目を細めた。


「それなら、これを」


そういって差し出された箱には、最近よく見る長細い棒。
あ、!と、思わず驚きが口をついた。


「一本箸!

成る程、“杖”とは箸の事に御座りましたか」


「箸?」



針井殿が後ろで怪訝な声をあげていたが、今はそれも気にならない。

成る程、どうやら、皆が言う“杖”とは此処の世界での箸の事。
この店は、あの不可思議な箸専門店だったという事か。


妙に納得して頷いていれば、
老人になんでもいいから早く振れと急かされてしまった。
それに了承して箸をいつかのセブルス殿のように一振りすると、



−ぱあん!



窓が吹っ飛んだ。



「…え、な!?」
「何してるんだい海鳴!?」
「え、拙者!?」

慌てふためくこちらを余所に、老人は ダメか、とぶつぶつ呟くと慣れた様子で拙者の手から箸をもぎ取った。


「なら、これを」


次に手渡された滑らかな箸も、一振りすれはうず高くつまれた棚をひっくり返す。
だがやはり老人は動じず、しかも何故か少し楽しげな面持ちで次なる箸を差し出した。


それは、二本の箸が紅い紐で一膳の形となったもので、片方が少し長い不格好な成りをしていた。
しかしここに来てはじめてまともな箸の形を見た拙者は、妙に感動してそれを受けとる。


「それは、世にも珍しい双子杖。
短い方が兄、長い方が弟でして、二つで一つの共同体となっております。」


成る程、と頷きながら採箸のようなそれを箸の持ち方で構えれば、老人は違う違うと正そうとした。
しかし、
それより早く かちあった箸の先端が白い光を放ち、辺りには一瞬にして湧くように甘やかな粉雪が降り注いだ。


暫し呆けてそれを見ていると、老人は はっとしたようにこちらを見て「素晴らしい!」と手を打った。


「どうやら気に入られたようですな。
それは檜の木にドラゴンの心臓の琴線。
兄は23cm、荒々しくも美しく、弟は28cmでしなやか、とても賢い。
本来は二つを繋ぐ紐を断ち切って右手に兄、左手に弟を持つのですが、海鳴さんの持ち方でも当人らが納得したなら大丈夫でしょう」


にっこりと微笑む老人に はぁ、と頷くと、彼は9ガリオンです、と言って箸を箱に入れて手渡してきた。
その通りの金貨を渡して一歩さがれば、次は後ろで未だに床につのった雪を見ていた針井殿に目を向ける。


「お待たせ致しました」

少し申し訳なくて走り寄れば、彼は ううん、と首を振ってから「海鳴凄いね」とにっこり笑った。



「さ、次はポッターさんですよ」


老人の促す声がし、針井殿は途端に少し緊張した面持ちになってそちらへ進んで行く。


「これを」


そう言って拙者の時同様箸を差し出され、彼も怖ず怖ずとそれを振る。
すると、やはり だだだだだっ!と棚から箱が雪崩て崩れ落ちた。

老人はすぐさま箸を替えるが、次のそれも飾られていたギャマンの明かりを破壊する。
申し訳なさそうに肩を萎める針井殿の姿に妙な共感を抱いていると、老人は「もしや…」と呟きながら一本の箸を取り出した。

やけに真剣な目をした彼が無言でそれを差し出すので、針井殿は少し怯えながらも箸をにぎる。


すると、


「ふ、不思議じゃ…っ!不思議じゃ!」


店内には温かな光が溢れ、針井殿の髪を巻き上げて天井高く吹き抜けた。
老人はその様子に目をかっぴらき、次に複雑そうな面持ちで針井殿に視線を移した。


「ポッターさん、わしは自分の売った杖は全て覚えておる。全部じゃ。
あなたの杖に入っている不死鳥の羽根はな、同じ不死鳥が尾羽根をもう一枚だけ提供した…、たった一枚だけじゃが。

あなたがこの杖を持つ運命にあったとは、不思議な事じゃ。
兄弟羽が…、
なんと、兄弟杖がその傷を負わせたというのに…」



ふるり、と針井殿の手の内に握られた箸が、まるで鳥が身体を清めるかのように身を震わせた気がした。
彼はそれを親の仇のように握り締めると、縋るような目で老人を見る。


「杖の持ち主は誰ですか!?」

「その名は口にだせん、
杖は持ち主を選ぶ。その理由は定かではないが、あなたは偉大な事を成し遂げる。
…ある意味では、名前を言ってはいけないあの人も偉大な事をした。
恐ろしい…、だが、偉大な事じゃ」



懺悔のような悔いの中に供に巣くう誇りが吐き出され、重い空気が無音の鉛となり肺を攻める。


かたや己を殺す刃となり、
かたや己を守る刃となった兄弟羽。

余りに皮肉な巡り会わせに立ち会った己には、無意識であろう傷を抑えている彼の姿は、皆が嬉々として語る程に逞しい英雄のようには思えなかった。


その時、



「ハッピーバースデー、ハリー!」



こんこん、と鼓膜に届く軽い音が埃っぽい空気を伝い、一緒に投げられた明るい男の声がそれにそぐわぬ暗い雰囲気を押し込めた。
つられてその根源を向けば、そこには白い梟のカゴを抱えた森番殿の姿。


彼が口にした“はっぴいばあすでい”が何を意味するのかはよくわからなかったが、それを見た針井殿が少し表情を明るくしたので拙者は微かに安堵の息を吐く。


なんだか、あの老人はあまり好きになれそうもない気がした。





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