君が世

□生き残ったと言われる彼は
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「あ、お待ちなさい、Ms海鳴」



まだ日差しが柔らかな午前中。
漏れる欠伸を噛み殺し、これから書物倉にでも向かおうかと思いホグワーツの長い廊下を歩いていた時の事。


不意に
後ろから厳格ながらも優しげな声に呼び止められ、拙者は足を止めて振り返った。

すると、そこには ぴしゃりと背筋を伸ばして佇むミネルバ殿の姿が。

「どうかなされましたか?」

特に彼女との間に用も思い当たらず
そう問うと、ミネルバ殿はつかつかと
こちらへ歩み寄って来て そ、と拙者の頭に手を置いた。



「寝癖が酷すぎます。
直して差し上げますから、私の部屋へいらっしゃい」

そう言われて、今日はやけに髪が跳ね上がっていたのを思い出す。
もとより拙者の髪は質がふわふわとしていて跳ねやすいのだが、最近は寝具が慣れぬ“べっど”とやらになったせいか、
余計に髪先が自由な方向へと伸びるようになってしまった。


特に気にする事もないのだが、ミネルバ殿が我慢ならないという表情でこちらを見つめてくるので断る事もできず、ここは大人しくお任せすることにする。


「それでは、お願いいたしまする」

素直にそう言えば、ミネルバ殿はやはり満足そうに頷いて私室へと促し歩きだした。
足が早い彼女の後を必死に追いながら、拙者は じ、とその背中を見つめる。


無防備、といってしまえばそれまでのような、守りも警戒もない がら空きの背中だ。


拙者がこの地へと飛ばされて来た翌日の朝。
老師 直々に話され、此処の教員達全員は拙者の身の上を知った。
飛ばされたという事、忍という人種である事、今から何百年も昔の人物である事。

それらを知った彼らは、しかし拒絶することなく拙者という異分子を受け入れた。

こちらが警戒が足りないのでは?と呆気にとられてしまう程あっさりだったそれに、己は未だに戸惑いが拭えないらしい。
隙だらけな教員方の背中にクナイの軌道を無意識に予測していた己に気付いた時は、職業病かと本気で悩んだりもしたものだ。
というか、ただ単に向こうの職場が厳し過ぎただけか。


己の生きた時代は戦国乱世。
戦場に転がる死体達が、明日は我が身と怯え背を守り続けた世の中なのだ。
それの方が異質なのだ、と言われてしまえばそれまでだが、そんな殺伐とした人生を送ってきた拙者にとって、この穏やかで生温い生活はとてもむず痒くてこそばいものだった。

いや、仕事がないのは嬉しいんだけどね。



悲しくも信長様の無茶ぶりに慣れてしまった体が訴えてくる違和感に全て目をつむり、拙者はミネルバ殿に手招かれるままに彼女の部屋へと足を踏み入れた。






「そこにお座りなさい」


指定された“いす”というらしい背の高い座具に腰掛ければ、彼女は鏡のついた引き出しの中から鋏と櫛を取り出す。

てっきり魔法でなんとかするのだと考えていた拙者は、それに少しの驚きを覚えた。

「なんです?」

「あ、や。てっきり、拙者は魔法を使うのかと…」

それに気づいたらしいミネルバ殿が、首を傾げて疑問を投げる。
それに素直に答えれば、彼女は ふふ、と笑いを零した。

…おぉ、厳格な雰囲気が溶けてなんだか可愛い。


「確かに、魔法は便利なものです。
けれど、私達も自分で出来る事は自分でやりますよ。その便利さに溺れない事が、不可思議なこの力と上手く付き合っていくコツなのです」

そう言って微笑むミネルバ殿を鏡越しに見遣り、拙者は ふ と浮かんだある考えに眉を寄せる。


もし、
この不可思議な力が戦国の世にあったとしたならば、一体誰が天下をとっていたのだろうか。


瞼裏に ちら と浮かんだ主の背中を思って、しかし拙者は直ぐにそれを否定した。

いけない、これは本当に職業病だ。

我ながら馬鹿な考えだと嘲りそれを必死に振り払っていると、髪を梳かしていたミネルバ殿から動くなとの命令が下されてしまった。
それに従って ぴっ、と体を固めれば、
辺りには今までまるで意識しなかった沈黙が満ちていく。


窓辺から、ぴちちち…と尾張では聞かぬ鳥の声がした。


部屋の至る所に設けられた窓からは午前の甘やかな日差しが降り注ぎ、
視覚からもその温度を上げる。
鏡に映るその光景に目を細めながら、
今日も熱くなりそうだとぼんやり考えていて 、そこで はた、と気が付いた。



忍は夜に生きるもの。

ただでさえ夜行性な職なのに、信長様の無茶苦茶な仕事量により昼ですら薄暗い屋根裏に忍んでいたのだ。

太陽の日に温もりを感じるなど、
いつ以来の事であろうか。


妙に感動して穏やかな心持ちに身を任せていれば、意識せず拙者の口が思いを零した。


「ここは、真 平和に御座りまするな」


我ながら爺臭いと思うが、これが素直な感想なのだから仕方ない。

すると、鏡越しのミネルバ殿は一瞬驚いた顔をした後 ふ、と複雑な表情を浮かべた。
悲しいような、嬉しいような、苦しいような、幸せそうな、
一口に表現できないそれに首を傾げていると、彼女は髪を梳く手を止めずにゆっくりと語りだす。



「そうですね。
今は、本当に穏やかで平和です。

けれど、この世界もつい最近までは恐ろしい恐怖と戦っていたのですよ」


櫛を持つ手に微かな震えを感じ、拙者は じ、と鏡越しに彼女の目を見つめる。

ミネルバ殿はそれには気付かず、まるで何かを悼むような表情で手を動かしていた。


「…そうね、貴女もこれから暫くはこの世界で生きていくのですから、知っておいた方が良いでしょう。」


そう言うと、彼女は右手の櫛を鋏へと持ち替える。


「かつて、この世界は強大な闇の力によって絶望へと染められていました。
彼らは魔法使いの血を貴び、そうでない者を全て排除しようとした。
ダンブルドアや私達はそれに抗い戦いましたが、なかなかに決着は着かず、何年も何年も恐ろしい闇の時代が続きました。」



じゃきん。

髪を切り揃える鋏の音が、穏やかな午前の空気に溶け込まず生々しい余韻を残す。



「しかし、誰もがこのまま夜に怯え嘆く生活が続くのかと悲しみに暮れていたその時、一人の男の子が生まれたのです。
彼は魔法使いの父と マグル…、魔法を知らなかった者の母との間に生まれたごく普通の男の子でした。

けれど、闇の陣営、その中心である“名前を呼んではいけないあの人”が彼を殺そうとした時、彼は今まで誰もが逃れる事のできなかった死の呪文に打ち勝ち、そして“名前を呼んではいけないあの人”を滅ぼしたのです。」




ぱらぱら、と 切られた髪が床へと散った。

ふ、と息をはいたミネルバ殿は、心なしか青い顔をしてまた拙者の髪へと櫛を通す。


「どうして彼が助かったのかは誰にもわかりません。
“名前を呼んではいけないあの人”も確かにいなくなりはしましたが、ダンブルドアはきっとまだ生きて力を蓄えているのだと核心していらっしゃいます。
けれど、
確かにこの世界は再び光に照らされたのです。
当時一歳だった彼は“生き残った男の子”として英雄となり、今では魔法界の誰もがその名を知っています。

少年の名は、ハリーポッター。
今年、このホグワーツへ入学するのですよ」


そう言い終えると共に、彼女は 終わりましたよ、と笑って拙者の肩についた髪を軽く払った。

はっとして顔を上げれば、いつの間にか軽くなっていた頭に整えられた毛先がひょいとゆれて鏡へ映る。
長さこそ余り変わらないが確かに量の減った髪にまじまじとそれを眺めていると、鏡の中の拙者が急に にこりとわらって一回転をしてみせた。

驚いて一歩さがる拙者にくすりと笑いを零したミネルバ殿は、これまた片方だけの箸をひとふりして床に散った髪を ぱ、と消してしまった。
…なんだか、こちらの世界へ来てから箸がどんな役目なのかがだんだんわからなくなってきた。



「そういえば、その服はこの間買ってきたものですか?」


脳内で箸の使用法を真剣に議論していると
ふいに話を衣服へ振られ、拙者は反射的に己のそれへと視線を投げる。

見てみれば、そこには着慣れない“ぼたん”とやらのついた黒一色の服。
セブルス殿にまかせるままに買ってしまったそれは、動きやすいが未だに違和感が拭ずもさもさと纏わり付く感じが気になって仕方がなかった。


頷いて彼女の問いに肯定を示すと、彼女は何故かため息をついて頭を抱える。

「全く…、
セブルスは海鳴にまで蝙蝠服をプロデュースするつもりなのかしら…」

「え?」


苦々しげな声で呟かれた言葉に首を傾げ聞き返そうとすれば、ミネルバ殿は唐突に ぐぐっと拙者の肩を掴んで力強い目で覗き込んできた。


「次からは、私が一緒に行って服を選んで差し上げます」


彼女の目に燃える使命感と並々ならぬ迫力に圧倒され、拙者はごくりと喉を鳴らして頷くしかない。
するとミネルバ殿はあっさりとその手を放し、満足そうに にっこりとした。

…彼女は絶対に怒らせてはいけない部類だと本能に告げられた。



「さ、もう行って構いませんよ」


何処かへ行く途中だったのでしょう?と言われ促されるままに扉へと進むと、そこで拙者は くるりと振り返り彼女を見る。


「有難う御座りました」


一礼して顔を上げれば、先ほどより大分強くなった日差しの中で微笑むミネルバ殿。
そこに先程の複雑な色をした感情はなく、拙者はもう一度礼を言うと今度は振り返らずに部屋を出た。


長い廊下には夏の強めな日が陣をとり、磨かれた床に照り返しを作る。
その眩しさに目を細めつつも、ふと見遣った先の柱の影こ濃さに目をとめる。

日の差す所には闇がある。
この世界に恐怖を降らせたという名前を言ってはいけないらしい人物と、そして、
この世界から闇を払ったという

“生き残った男の子”。



その単語が、軽くなった頭の中でやけに大きく反響して響いていた。






(そういえば、
名前はなんと申しておったか…、)



(あ、そうだ、針井 堀田 殿だ!)





(…あれ、どっちが苗字?)





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