君が世

□ここは一つ、取引を
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奇妙奇天烈摩訶不思議。
そんな言葉がぴったりだと思った。


不気味に薄暗い廊下はしかしどこか神秘的で、しかも長さからして拙者が迷い込んだこの館は相当な広さだという事が伺える。

下手したら安土城よりも広いのではないか、そんな事を考えながら月明かりの差すそこを大人しく連行されていると、
拙者をつまみ上げていた男の足がひたりと止まった。

何事かと思い顔を上げて、




「う、うわあああああ!?」


びく、と跳ねた心の臓と反射神経に逆らわず、思わず投げつけた幾つものクナイはしかし目の前のそれに きぃん、と弾かれる。
固い物に当たった感触に恐る恐る目を開けば、そこには世にも恐ろしい鬼の顔をした羽の生えた不気味な石像が鎮座して、石工の繊細な瞳をもって遠くを見つめていた。


…怖い、
鬱すぎて物置で見えない誰かに語りかけていた時の光秀殿よりも怖い。


趣味の悪すぎるそれに一人おののいていると、頭上から ふ、と 嘲る様な笑いが落ちてきた。
そこで改めて己を持ち上げている男の存在を思い出し、気恥ずかしさと恨めしさを混ぜた視線でそちらを睨みつける。
誰だってあんなのがいきなり目の前に現れれば、驚いて取り乱すに決まってる、
否、そうだと願いたい。

しかし、見上げた男は既に先程と違わぬ仏頂面へと戻っており、拙者の視線を悠々と受け流してみせた。





「……あー、…、」


だが、それもつかの間。
男は少しの沈黙の後一つ咳ばらいをすると、如何にも不満、という顔をして口を開く。
一体何だ?と思うより早く、



「練り切り、すあま、生八ツ橋!」








「…………え…、」



突如として呟かれた地を這う様な低音と、それに似合わぬ可愛い甘味の名称に暫し呆然とした。




「…た、食べたいので御座りまするか?」

生八ツ橋、と ひくつく口元を隠しもせず問えば、男は更に眉間のシワを深くしてだんまりを決め込む。
滲み出る ほら見ろ、とでもいいたげな不機嫌さからして、どうやら突然の糖分不足に襲われたというわけではないらしい。

一体何なんだ?と思い首を傾げた刹那、
拙者はいきなりの第三者からの鋭い視線に貫かれ身を凍らせた。
バッ! とそちらを振り向けば、

「ひっ!?」

先程の恐ろしい石像が、なんと生きているかの様に動いていたのだ。
それは、驚きに身を固くする拙者へ睨みつける様な視線を一つ寄越すと、
ぴょい、と身軽な動きで横へとずれる。

すると、その空いた空間へと上から螺旋の階段が現れ、当然とでもいいたげにそこへ収まった。


その音一つ無く成された光景に拙者は理解が追いつかず、しかし心の臓は煩い程に好奇心が騒ぎ立てる音を刻む。
凄い。
こんな技術、堺のカラクリ技師でも持ってはいないだろう。


しかし、男はそんな事には構わず当たり前の様にそれへと乗り込んだ。



「こ、これは一体何に御座りまするか?」

「はっ、エレベーターもご存知ない?」


我慢出来ず引き攣った声でそう問えば、
やはり嘲るような返答。
しかし今はそれも気にならない程、拙者は“えれ平太”なる物に興味と意識を引かれていた。

本当なんだこれ。
こんなん安土城にも欲しい!



そんな“えれ平太”はくるくると回り、筒のような形の空間を上へ上へと上がっていく。
一体どんなカラクリなのだろうと仕組みが知りたくてうずうずとしていれば、ふいにそれは少しの振動も感じさせる事なく文字通りぴたりと動きを止めた。


すると、
男はさっさと“えれ平太”から降り、迷いのない動きで新たな空間へと足を進める。



「校長、不審者を連れて参りました。」



ぎぃ、と古く重たい音をたてて開かれた分厚い扉。
半ば蹴破るように乱雑にそれをくぐった男によって、心の準備も何もないままに拙者もそれに続かされる。

拷問でもするのか、と捕まったと同時に浮かび上がった単語に再び覚悟の念を固めれば、拙者は意をけして己の飛び込んだ空間を瞳に映した。





そこは、先程までの好奇心全てを上塗りしてしまうかの様な部屋だった。

高い高い天井へ向けて競うように飾られた人物画達は、どういう仕組みなのか皆思い思いに動きこちらを興味深げに覗き込む。
思わず会釈をすれば、彼らもしっかりとそれに返してくれた。
その奥に覗く壁は一面本棚となっていて、字も読めぬ古い書物がぎしりとそこを埋めていた。

空間自体の奥行きも広く、
奥は上座のようになっていて
更に名もわからぬ道具がひしめいて息づいている。



そこに、

まるで奇妙なガラクタの一部のように、
空気のように、溶け込むかのように、
しかし確かな存在感をはなってその老人は立っていた。


「ご苦労、セブルス。
その手と縄を解いてあげなさい」
「しかし、校長、」

「大丈夫じゃよ。
話しは本人から直接聞こう」


老人の諭すようなしかし優しい声に、男は眉間のシワを深めるも渋々拙者を床へと投げた。
痛い思いは御免だと 慌てて受け身をとり体を起こせば、
老人は ほう、と呟いて眼鏡の奥の瞳をきらきらと輝かせた。


「エバネスコ」

低く唸るようにして男が箸をふる。
すると、ぴっしりと拙者の足へと絡みついていた縄はまるで溶けるかのようにしてするりと消えた。



「さて、お嬢さん。
君の事を教えて貰っても宜しいかな?」


老人はこつり、とこちらへ一歩踏み出すと、優しく促すように語りかける。
その目が探るような深い色に包まれているのを見とめ、拙者はそれに答えるようにしかと見返した。


「構いませぬが、そちらの望む様な返答はお返し出来ないかと思いまする」


「っ、貴様!自分の置かれている状況がわからんのか!?」

「これ、やめんかセブルス」



目を逸らさずきっぱりと返した拙者に、
男はやはり青筋をたてて箸を突き付けた。
しかしそれを一言で制した老人は、拙者の前へとくると底の読めぬ瞳を持って じ、とこちらを見つめてくる。


拙者の国では滅多に見ない、
空のような海のような淡くも美しい青色の目だ。


それが理由を問うていると悟り、拙者は更に口を開く。



「情報は、時に命よりも大切なものに御座ります。
己の零したそれが本意ならずとも主君や他の者へと危害を及ぼす可能性だって御座ります故、拙者が安々とそれを口にする事は憚られまする」



“主君”
その言葉に眉を寄せる男を他所に、
それを聞いた老人は ほう、と呟くと
何故だか嬉しそうに目を細めた。

「それは成る程な理由じゃの。
いやはや、その年でそこまで考えが及ぶとは、お主はなんとも聡明じゃな。

しかし、お主も今はこちらの情報が欲しいはずじゃ。どうかね?」


ここは一つ、取引を。

そう投げかけられた言葉に、拙者は暫し息を詰めた。
確かに、
ここが何処なのか、あの不可思議な力は何なのか、そもそも、此処は日本ではないのか、今の己には一つたりとも情報がない。
現状把握すら出来てない今、それは確かに喉から手が出るほど欲しいものだった。


だが、それにはこちらもそれ相応のものを差し出さねばならぬという事。
騙されるという可能性も考慮すれば余り良い取引とは言えなかったが、
じっ と己を見据える老人の目にはきらきらとした光が宿っており、なぜだか無償で信じられる気がしてしまった。



「………分かり申した。
お話し、致しましょうぞ」


一つ ため息を吐いた後にそう言うと、
拙者は さっ、と体制を整える。
片膝をついて背筋をぴん、と伸ばすと、
視線はしかと目の前の老人を見据えた。



「拙者、名を海鳴と申します。
生まれは日本。
奥州は松島にて、今は尾張の忍。
主君は鬼神 織田信長公に御座りまする」


その言葉に、老人は更に目を輝かせた。
しかし、

「またそのような戯れ事を!」

案の定、
後ろに控えていた男が噛み付いてくる。

「戯れ事では御座りませぬ!
いい加減、一々突っ掛かってくるのは止めて下さいませぬか!」
「突っ掛かるも何も、貴様が信じられん話ばかりするからだろう」
「この堅物め!」
「ほう、よくもまあそのような口を…」


「やめんか、二人共」



そろそろ本気でクナイを叩きこんでやろうか、と怒りに任せて数本構えた所で、
二人の間に割ってきた咎める声にそちらを振向く。
視線を浴びた老人は、にっこりと微笑むと口を開いた。


「それで、Ms海鳴。
お主は何故此処に居ったのかの?」

此処は魔法がかけられておるから、
一般人は中へ入れないのじゃが。


その言葉に、拙者は暫し目をつむる。
瞼の裏に蘇るのは、己の肉体を屠ったであろうまがまがしい赤。
心が震えるような光景を押し込め、
拙者は 信じて貰えるかはわからないが、と前置きをして口を開いた。


「信長様は、尾張を中心に日本を天下統一をしようとなさっていたお方。
此度は、そのための中国遠征をなさるとおっしゃるので、拙者はお供として旅に着いて行きました。
それは、予想よりも遥かに辛い道のりに御座りまして、
旅疲れで志気が下がってきた我々が宿を訪ったのが本能寺。
そこで、信長様の腹臣、明智光秀が反乱を企てたので御座ります。」


一聞、関係のない話に、男が不可解そうに眉を寄せたのが見えた。
それを無表情で見返しつつも、いつの間にか震えていた拳を握り絞めて拙者は一呼吸ついて息を整える。
心配そうな老人の顔が見えた気がしたのは、きっと気のせいだ。



「本能寺は戦火に巻かれ、信長様は兵らを逃がしてそこへ取り残されました。
拙者は、主君に寄り添い、最後までお側におりました。」


息を呑む音がした。

それを何処か冷静に聞きとめつつも、
拙者はあの時の光景を脳に甦らせ遠い目をする。怒りに震える拳が、溢れる程の信長様へのそれを示していた。


語るも恥ずかしい本能寺。
燃え盛る炎の中では実はへたれたおっさんと薄情な忍が殴り合って掴み合って終いに道連れになりました、なんて、なんともがっかり残念なおちなのだ。

だが、目の前で沈痛そうな面持ちでそれに聴き入る彼らを前に、真実の残念話をするわけにもいかず。
頑張ったので、多少の脚色は目をつむって頂きたい。



「そして、炎に屠られ灰となった筈なのですが…、次に気がついた時、拙者は何故か此処に倒れておりまして。
これが真の話に御座りまする」


一礼をして面を上げれば、
二人はそれぞれな顔をして立っていた。
男は、やはり信じられない、とでも言いたげな様子だが、老人は何かを考えるように難しい面持ちで髭を撫で付ける。


「今、本能寺、と言ったかの?」


確認するようなその声に、拙者は慎重にと思いながらも頷き返す。
すると彼は ふむ、と呟くと机の上から一冊の本を持ち上げた。
読めぬ字で第が綴られたそれだが、表紙は真美麗な浮世絵で魅せられる作品になっている。


「わしは今、ジャパニーズヒストリーにハマっておってな、
その中で、“織田信長”という人物を見たんじゃが…、」


そう言いながら差し出された本には、
やはり読めぬ字に混じって書き込まれている面長な武将の挿絵。


“Nobunaga,Oda”

下に添えられた字は意味がわからなかったが、老人が信長様の事を話しながらこれを指すのできっとこのひょろひょろなおちょぼ口武将が彼なのだろう。


「…に…っ、…似ておりませぬな…」


なんだこれ酷い、傑作すぎる。
こんな色白もやしのおちょぼ口武将が天下の織田信長だったら、拙者は確実にあの時着いていかなかっただろ。
というか、
信長様もう少し絵師を選んで下され。


笑いそうになるのを堪えぼそりとそう呟けば、老人は そうかの、と呟いたきり押し黙ってしまった。
どうしたのか、と思い顔をあげると、
彼は少し困ったように眉を下げながら
「しかし、」と続けた。




「織田信長は、今から何百年も昔の人物なのじゃよ」





「  は、 」





こぼれ落ちた率直な声。
思わず漏れた音は、言葉としての意味すら持たず しん と静まった空間にこだます。
それに気づいていない訳ではなかろうが、老人はそのままの空気に次の爆弾を投下した。



「なのでな、お主の話を聞いて推測した限り、お主はその時代からこの時代へと飛ばされてしまったようじゃのう」


酷く冷静に告げられたその言葉に、
拙者の思考は範疇を越えたのか
ぴしりと音をたてて固まった。


「校長!そのようなふざけた事が…」
「セブルス、この世には不可思議な力が溢れておる。“有り得ない”という事は“有り得ない”んじゃ。
我々がそれを否定することは、魔法を否定することと同じじゃろう?」

現に、彼女は此処にいる。

そう諭すように言えば、男は眉根をこれ以上ない程に深く寄せ地を這う程低い声で呟いた。


「……信じるのですか」


唸るようなそれに
、老人はただにこりと微笑む。


「わしゃ 嘘には敏感なんでの。
じゃが、お陰でまだ一度もエイプリルフールで騙された試しがないのじゃよ」



残念そうに、しかし茶目っ気たっぷりに告げられた言葉だが、それは今の拙者には届かない。


“何百年も昔”


その言葉が、酷く冷たい氷の様に突き刺さった。
確かに、拙者は本能寺にて死んだ。
はずなのだ。


「なのに、拙者は今此処に生きている…」


時代さえ越え、主を置いて生き延びた。



帰る場所も 人もないというその事実を認める事は、己には余りに痛く鋭い刃を飲み込むも同じだった。




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