君が世

□飛ばされましてその先は
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己と信長公の出会いは、今は昔。
もう何年も前の事になる。


まだ幼子と呼ばれる齢にして親は亡く、
拙者は尾張の森の中で野垂れ死にかけていた。

このまま野犬に喰われて終わるのも良い。

ひやりと苔むした土へと頬を擦りながら、
全てを諦めた様に指一本動かぬ体を地面に投げ打っていた時、



「おい、童。
邪魔だ、退かぬか」



その声はかけられた。


億劫なままに辛うじて目玉だけ動かしてそれを見れば、そこにいたのは己を楽にする為の野犬でも熊でもなく馬に跨がった一人の男。

邪魔なら転がせばいいじゃないか、との思いを込めて睨みつければ、
彼は予想外にくつりと笑いを零した。

「童、何て目をしよる。
その目は男共の目。戦場で見る、生きようと足掻く男共の目ぞ」

男はひらりと音もなく馬から降りると、
拙者の方へと足先を向ける。



「生きたいか?童」



その時、暗く混沌とした森に木々の木漏れ日の日が差した。
それは暗く塗り潰されていた男の輪郭をくっきりと切り取り、拙者の目へと全貌を曝す。

初めて見えた男の顔は、生気にギラギラと満ちて輝いていて、まるで 今は亡い母が褥の中で語ってくれた生まれ故郷の伝説の龍の様で。


手こそ差し出されてはいなかったが、
男は来るなら来いとでもいいたげにそこにどんと立っている。
拙者は、無意識のうちに彼へと手を伸ばして生を縋っていた。


「…生き、たい、 生きたい!」



長い間水を口にしていなかったせいか、
久方振りに聞く己の声は酷くしゃがれてか細い。
だが、彼は私の答えを聞くと
「やっと童らしい顔になった」、といって悪人の顔をして優しく笑った。

その男こそが、後の己の主君、織田信長公であった。





それから数年、
拙者は信長様直属の忍となり、男子でいう所の元服の年を迎えた。

信長様は尾張の鬼神としての名を世にしらしめ、その“上に立つ者”としての生まれながらの才能を駆使して天下統一への道を歩んでいた。

しかし、



「ぎゃあぁあああああ!熊!熊が出た!
海鳴熊だぞ助けろおおお!」

「熊をも喰らいそうな顔をして何をおっしゃいますか!この位、御自分で何とか出来ますでしょうに!」

「嫌だ海鳴助けてええぇぅええん」



この頃から、拙者は信長様が実はただのへたれた泣き虫爺でしかないのだという事を知った。


…何故こうなった。

最初の頃のあの男前な信長様は何処へ行ったんだ。
詐欺だ、詐欺だこんなの!
拙者はあの時の威風堂々な格好良い信長様について行くと決めたのに!!


実際の所、南蛮からの使者に魔王よ悪魔よとまで言わしめた悪逆非道な鬼の行政は、
ただ単に彼の不器用さが生み出した表の仮面であったという訳なのだ。

だが、それに気がついた時には既に遅く。

拙者は信長様直属の忍となり、
しかも何故か彼の数少ない心許せるお友達に認定されてしまっていた。

今更辞めたいとか言える訳もない。


それに、信長様は表の顔は本当に立派なのだ。
彼が行う恐怖政治はいつの世だって必ず人を動かすものだし、非道と呼ばれる残虐な仕打ちもこの戦国乱世では甘さが明日の己の命を狩る時代。
上に立つ者としては然るべき処置であった。





「のう、貴様は今年、元服であったな?」



月見酒、基、光秀の視線が冷たいだ秀吉が最近草履を温めてくれないだという愚痴大会に付き合わされたある晩の事、信長様は拙者に向かって唐突にそう投げた。


「はい、故郷を出て信長様に拾われ忍となってから、もう幾年も過ぎまして御座りまする」


「…故郷、か。
貴様は確か、奥州は松島の生まれであったな?」


良いところであったか?
そう問われ、拙者は暫し目をつむり思いをはせる。
母が病で死に、父が戦に出て首無しの骸で埋められた土地。
穀潰しだと罵られ石を投げられ追われた我が故郷。

だが、



「…はい。
余り覚えてはおりませぬが、海がとても美しく力強くて、それに映える月がまたも素晴らしく御座りました」


瞼の裏に焼き付く幸せだった記憶を辿っていけば、
信長様は そうか、とぽつり呟いて顎を撫でた。


「……貴様に、名をくれてやろう」



「は?」



唐突に、
暫し思案した後に吐き出された言葉に瞬きすれば、彼は月を見上げたまま名案だ、とにかりと笑った。


「元服の祝いだ、受け取れい。
…そうさな、あー、

海鳴、海鳴でどうだ?」


綺麗なものをその名前に、
そう言ってやけに自慢げに笑う信長様はやはり“鬼神”とは程遠くて、
しかしそれは拙者の中の“織田信長”として確かに刻みつけられた。


「……有り難き幸せに、御座りまする」






ひゅお、と冷たい空気が肌を撫でた。
じわじわと染みる冷気に身震いをすれば、
記憶の中の主はぼんやりとその輪郭を溶かしていく。
そこで、己は初めて瞼を閉じていた事に気がついた。






「………え……」



目を、開けた。
目を、覚ました。
すなわち、それは己が生きているという事を示していて



「拙者、死んだのでは、」


確認するように呟けば、
肌がちりりと痛みを思い出した。
そう、拙者はあの時、確かに信長様と共に本能寺にて炎に屠られたはずなのだ。

しかし、灰になったはずの体は今またしっかりと命を刻むための脈が打っていて、流れる血潮の暖かさが 生きている、という事実を突き付けている。


何故、 しかし、その疑問は浮かんで直ぐに別のものへと塗り替えられた。



此処は何処だ?

見渡せば、そこは目に馴染みのない物ばかりの不可思議な世界。
手が届かぬ程に高い天井には夜空が煌々と瞬き、どんなまやかしなのか幾万もの大量の蝋燭がその中をふよふよと漂い照らしている。
しかし、己が倒れていた場所は部屋と呼んでいいのかわからない程広い空間で、空が仰げるにも関わらず 野外、というわけではないようだ。
周りにはやけに背の高い文机の様なものが立ち並び、厳かながらも温かな空気を作り出していた。



「拙者は、一体…?」



無防備にも呆然と立ち尽くして辺りを見回すも、答えに繋がるような材料は一つも見受けられない。
それどころか、拙者に名前がわかるものが何一つとしてないのだ。
すっかり雰囲気に呑まれ突っ立っていたその時、


「Hey,you!what are you doing!?」


空気が震えるような大声。
突然響き渡った怒号に身を構えれば、そこにはつかつかと足音高く近づいてくる一人の男。
真っ黒な服をばさばさとはためかせて歩いてくる姿は大きな蝙蝠みたいで、しかし異様な雰囲気が拙者を気圧した。

こんなにも大きい気配に気づけない程、己は動揺していたらしい。



「Who are you! How did it enter!?」



いきなりの事に硬直して動かない拙者に対して男は尚もまくし立てる。が、何を言っているのかはさっぱりわからない。

というか、



「………箸?」



男は何故か片方だけの箸(?)を持っていて、それをこちらの喉元へぴたりと向けている。

何処の躾の悪い幼子だ。


だが、その先端からは痛い程の殺気が滲み出しており、それがただの箸でないという事は理解が出来た。

よくわからないが、此処は大人しく従った方がよさそうだ。
そう判断して待ったをかけようと立ち上がると、

「Stupefy!」
「なっ、」


男は威嚇するかのように、いきなりに謎の言葉をさけんだ。


それは、酷く不思議な言葉で。
聞き取りにくい発音だからというのもあるが、その単語には生きたような生命力がはかなくも確かに宿っているように感じられたのだ。

途端に、あの箸の尖端から白い光が弾け
一直線に己の方へと向かって来る。
得体の知れないそれ…仮に箸光線としよう、を反射的に身体がよければ、男は更に眉根のしわを深くしてこちらを睨みつけてくる。
それだけで人が殺せそうな視線と共に
早くも第二弾が飛んできそうな勢いだったので、拙者は慌てて首を振った。

「お、お待ち下され!
拙者、怪しい者には御座りませぬ!
落ち着いて、とりあえずその箸を下ろして話しを聞いては頂けませぬか!?」


訴えるように叫ぶも、男はやはり違う言語のせいか伝わらぬ様で、一向にあの不可思議な箸を下げてはくれない。
困った、と眉を八の字にして舌打ちしたいのを抑え下を向けば、目につくのは自身の服装。

怪しい者ではない、と言ったものの、
ちらりと見た己の姿は真っ黒な忍装束が所々焦げているという状態で、自分から見ても言い訳できぬ程度に怪しさ全開。
ていうかこれ完全に不審者だろ、と自分でも思ってしまったが、こちらに敵意は皆無なのだ。
なので、またあの危ない光が飛んで来ないうちにと拙者は必死に身振り手振りで弁解に励んだ。

すると、
男は目を細めたかと思うと箸を構えたままにこちらへとゆっくり近付いてきた。


「Stop!」

また箸光線か?と警戒して瞬時に後ろへと下がろうとすれば、男はそれより早く低い声で何かを言った。
意味こそわからないそれだが、
なんとなくに“止まれ”という様な響きを持っていた気がして拙者は袖下にクナイを構えつつも足を止め男と向き合う。


く、来るなら来い!
そんな勇ましい気持ちで立ち向かっていると、彼は己の攻撃範囲ぎりぎりまで歩みより拙者の耳へと箸を向けた。



…ごめんなさいやっぱり怖い。


目の前に迫る異様な威圧感を醸し出す男に少し泣きそうになれば、男は何事かをぼそりと呟くとそれを耳元で一振り。
そしてあっさりとそこより一歩下がると、こちらをじっと見据えてきた。


耳でも吹き飛ばすつもりなのか、と身構えていた拙者は、そのよくわからない行動に眉根を寄せる。
すると、



「これで通じるようになったかね?」

男は箸を構え直すと は、と一つ面倒そうなため息をついて口をひらいた。
ぼそりと呟くかのように投げられた言葉は日本語で、拙者は え、と思わず音を零す。
聞こえた声は、目の前の男のそれ。
急に通じた言語に理解が追いつかず暫し呆けていると、彼は少し苛立ったようにまた口をひらいた。


「…それで、
貴様は此処で一体何をしていたのだ?」


暗に
答え次第ではただでは済まさないと言われ、拙者は はっとして背筋をしゃんと伸ばす。
失敗したら間違いなく命を狩られそうだ。

やはりどう見ても拙者の方が立場が悪い為、これ以上余計な警戒を与えぬよう努めて丁寧な口調を選んでいく。


「し、失礼致しました。
それで、あの、何をしていたのかと問われましても、拙者は気がついたら此処で倒れておりました故、此処が何処であるかすら解らぬので御座りまするが、…あぁあ!箸を向けないで下され!危ない!」

「…………箸?」


戸惑いつつも己ですら信じられない真実を告げるが、やはり男は眉間のしわを深めて鼻で笑った。


「何を言っている?そんな言い訳が通じるとでも思っているのかね」

「真の話に御座ります!」

「とても信じられませんな」

「拙者だって、このような事態未だに信じられませぬ!
ですが、これが事実で御座います故、致し方なかろう!」



ちりり、と首筋の後ろを走り抜ける緊張感に、戦場と同じような戦慄を感じる。

まさに、一触即発。

少しの言い合いが続いた後、きっ、と睨みつける拙者に苛立ったように、男はまたも箸を振った。


「インカーセラス!」「な!?」

先程同様に箸が光り、避ける間もなく足へと当たる。すると、“沸く”という表現がぴったりな程に何処からともなく縄が現れ、唖然とする間に両足はぴっしりと縛られてしまった。


いきなりの事に倒れそうになるが、
ここは、腐っても忍。
ひとまとめにされてしまった足を必死に跳躍させて、男から出来るだけ遠い位置にある高い文机の様なものへと飛び乗った。
威嚇するようにクナイを構えれば、男もまた拙者の心臓へと箸の軌道を向ける。


「なんのマネに御座りまするか!」

「貴様こそ、その身のこなしで一般人、という訳ではあるまい。
その武器をしまえ!
校長の所へ突き出してやる!」


男はじり、とこちらへ向き直ると、その視線を拙者の手の内のクナイへと定めた。

「エクスペリアームズ!」


瞬間、手元へ叩かれた様な衝撃が走り、
クナイが びゅ、と弾かれる。
あまりのことに対応が遅れ驚いていると、

「うわっ!?」
「暴れるな」

そう言って首根っこを掴まれ、ひょい、と猫か何かの様に持ち上げられた。
ごり、と頭部に押し付けられた固い感触に思い当たるものがあり、箸で脅されているという事実に軽く現実逃避したくなる。

だけど、あの箸本当怖い。
なんだあの箸。箸じゃないだろ。
日本の箸は光線なんて出ません!

だが、今下手に抵抗すれば更に己の部が悪くなるし、箸光線で殺される可能性もあるかもしれない。
ここは大人しく“こうちょう”とやらと面会をするか、と腹を括ると、拙者は無抵抗の意を込めて体の力をだらりと抜いた。
突き出すというからにはこの男より地位の高い者だろうし、もしかしたら此処が何処なのか等も教えて貰えるかもしれない。

そんな淡い期待を抱いて、
大股に歩く男に合わせて揺れる己のぼろぼろな体を眺めた。






(信長公、
あなたのせいで大変な事になりました。)




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