▽初等部・男女主X


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「ただいま戻りました。

おばあちゃま」

室内用の簡単な着物に着替え、祖母の部屋へと向かった。

中から、「お入り」と声がきこえた。

いつもよりも、やさしい気がするのは気のせいか...




今回、八神家との婚約の話がなくなったこと、

きっと本家でぐちぐち言われるのだろうと覚悟していた。

しかし、広い家ですれ違う人すべて、その話に触れる者はいなかった。

まるで、その話がなかったかのようだったのが、不思議でたまらなかった。

それはすぐに付き人に話をきいてわかった。

祖母が、やいやいうるさい本家の連中に一喝を入れたというのだから一葉は驚いた。

“もう過ぎた話だ”“子どもの色恋に大人が口出しするな”“もっと他にやることがあるだろ”

とそれはもう、みんながしり込みする剣幕だったそうだ。

いつも礼儀作法にうるさく、五色家としてのふるまいを厳しく教えられた一葉。

そんな厳格な祖母が、今回ばかりは本家に背くような意見だったのが、意外だった。




祖母の前にきても、どんな顔をすればよいのか、いまいちわからなかった。

「この度は...あの...」

言葉に詰まる中、「もうよい」と祖母は遮った。

え...と顔をあげる一葉。

「もう、おまえの中では区切りがついたんやろう?

顔を見ればわかる」

うん、とじっと一葉の目を見つめ、頷く祖母。

同じ桔梗色の瞳は、年老いた今でも輝きは消えない。

「よい目をしとる。

作りてとしても、成長したことやろう。

作品がたのしみやね」

初めてみる、祖母の無邪気な笑みだった。

いつも厳しい祖母が、こんな顔をするなんて...



「芸術家として、ええ経験になったんやろう。

綺麗な感情だけが人を成長させるんとちゃう。

汚い感情と向き合って初めて、作品に深みが出るんや」



星が、遠麻に教わったことと同じだと、一葉は思った。

表現者として、通ずるものがあったことに感心した。




「で...

盛大に振られたか、あの八神家に」



面白そうに笑う祖母。

その姿にあっけにとられた一葉。

こんなにくだけた祖母は初めてだった。



「あやつらはやると決めたらやる、こうと決めたらこう...一本道をつらぬく性ゆえ...

ほんまに、やわい布とはちごうて融通がきかんところがある」

呆れるような、少し怒っているような、でもどこか、懐かしむような口調だった。

「それが八神家や、ゆうことやけど....

五色とはまったく違うとこ...

せやけど、正反対なその姿に、なんやひかれてまうものがあるんやね...」

祖母の目が、少女のような目をしていることに気づいてはっとする。

「もしかしておばあちゃま...」

一葉は控えめに言うが、思っていることは正解らしく、いたずらっぽく祖母は笑う。




「私も昔、ほんま昔の話やねんけどな、

一世一代の恋をしたことがあって...

もう今じゃ本家の誰にも言えん話やけど、駆け落ちまがいのことをして...

それが八神家やった...」

祖母の口からそんな話が出るなんて...

想像以上のことに開いた口が塞がらない。

「せやけど男女の心なんて四季みたいなもんや。

だんだんお互い冷めてうまくいかへんくてな...

けっきょく私は本家に戻った。

そこからは、もう忘れるように五色織に専念しとったなあ」

5年後10年後の気持ちなんて、わからへんよ。

と祖母は笑い飛ばす。

「そうやって仕事に打ち込んでいるうちに、じいさんと知り合って...

というか半ば強引なお見合いやったけど、結婚したんや」

知らなかった...とつぶやく一葉に、「あたりまえや。じいさんや娘たちにも言うてへん」と祖母は言う。




「でもな、一葉。

私は今の生活に満足してる。

もう人間でいうたら私は晩年。

人生を振り返る時期に来とる。

そんな時に振り返ってみても、じいさんと結婚したことを後悔なんかしとらんよ。

あんたの母さん含め、たくさん子どもに恵まれて、

賑やかに暮らせて、私は幸せや...

五色織も好きやし...

一葉、あんたも生まれてきてくれたしな」




祖母の目は、あたたかくゆるくなった。



「人生、何が起きるかわからん。

これが正解やと思ってすすんだ道も、間違いかもしらんし、

思いがけず選んだ道が素敵な景色をみせてくれるかもしれん。

だあれにも、未来の自分の幸せなんかわからんことなんよ...

あんたは私からしたらまだまだ赤ん坊みたいなもんや。

今は自分にできることをひたすらやって、

これからもっと、精進せなあかんよ」




祖母の激励が、何よりも糧になった。

心に、エネルギーが満ちてくるのがわかった。




「はい、おばあちゃま。

次の作品、たのしみにしていてください!」




一葉は元気よく言って、転がるように祖母の部屋を出て、すぐに机に向かってペンを走らせる。

アイデアが、次々とわいてくる。

今までになかった。

こんなこと...




きっといいものができる。

そんな確信しか、一葉にはなかった。







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