▽初等部・男女主X


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「琥珀さま。

私では...だめですか」




涙に濡れた、一葉の瞳。

ぐっとくるものがあったのには、否定できない。

できることなら、抱きしめてあげたい。

そう思った。

こんなにも不安定に揺れる彼女。

美しく、悲しい目をする彼女。

聡明で、麗しく、清く、誠実な彼女。

きっと僕は、リンと出会っていなければ、この女性と結婚していただろう。

そうとさえ、思った。

彼女との結婚生活、何不自由ない幸せな家庭だって想像できた。

しかし僕は、あの日、あの時...

出会ってしまったんだ...

あの時の刺激、衝撃、執着...

匂い、音、感覚、すべて...

美しい感情も、汚い感情もすべて、忘れることなんてできない。

それくらいの衝撃だったんだ。




「もし、その方と再会しても、結婚できる可能性は限りなく低いです」


醜い自分の感情も、さらけ出す。

もう、何も偽ることはない。

ありったけの感情を、琥珀にぶつけたい。



「八神家の本家の方々は、きっと大反対なさるでしょう。

それでも琥珀さまは、八神家の一員として、遺伝子を残していかなければならない。

それが務めだから...」



一葉の言っていることは、とてもわかる。

わかるけれど、そういうことじゃないんだ。

大事なのは、八神家がどうとか、そういうことじゃないんだ。




「琥珀さま。

好きです。大好きです。愛しています」




相変わらず、一葉は美しかった。

なぜ僕は、この子に好きと言えないのだろう...

そう思うくらいに、とても胸が痛んだ。




「一葉...

僕のことを...

好きと言ってくれてありがとう。

素直に嬉しいよ」



やさしい琥珀の言葉が響く。

しかし、はっきりといわなければならないこともある。



「僕も、君のことが本当にすきだけど、それ以上に、愛おしい人がいる。

それは、これから一生僕の中で、変わることはない」



琥珀はきっぱりと言い切った。



「一葉、

僕は君の気持ちに応えることができない。

ごめん...ほんとうに...」



一葉は、涙を流しながら、頷いた。

笑顔だった。

くしゃくしゃな顔で笑っていた。

それが強がりなんかじゃないことは、琥珀にもわかった。





「ありがとうございます」




振られたのに、そんなこというのは違うだろうか。

でも、一言目に出た言葉がそれだった。

ああ、私の恋は終わったんだと、やっと区切りをつけることができた。

長い長い5年間の初恋は、やっと終わったんだ。

言いたいことが言えて、伝えたい思いすべて吐きだせて、すっきりしたし、

ちゃんと傷ついた。

苦しくて切ない、恋の味を知った。

それを教えてくれたのが、琥珀でよかったと、素直にそう思う。

これで、前に進むことができそうな気がした。




だから、少しくらい、ご褒美があってもいいだろう...

私の初恋...

がんばったから...

たくさん、勇気を出したんだからこれくらい、許されてもいいだろう...

ちいさな恋のノートの1ページに刻むくらいは問題ないだろう。




「これで最後にします。

もう、琥珀さまを困らせません」



え...と琥珀が呟いたときだった。



ふわっと、唇にやわらかいものが触れた。

あまりにも唐突で、それでいて自然だったから...




目の前で、少女が恥ずかしそうに笑うのを見るまで、何が起きたか理解するまで時間がかかった。




わずか数秒。

それは風がなでるかのようにさりげなく、軽く...

琥珀と一葉の唇が触れ合ったのだった。

背伸びした彼女の、精一杯のキス。




いたずらっぽく笑う彼女がそこにいた。

演劇でみた、歌を歌いながら仕事に励む町娘のような、明朗な彼女。

琥珀はさすがに一葉にしてやられたと、頭をぽんぽんとなでるのだった。





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