▽初等部・男女主X
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昨年は、八神家の部隊編成が大きく変わった年だった。
それは八神家にとって、大きな変革を意味していた。
翡翠が当主になって2、3年あまり、少しずつ、銀蔵体制から翡翠体制へとシフトしていった。
隊については、父、旭日は、琥珀が生まれる前に銀蔵から任命されてからずっと、1番隊隊長だった。
その頃から2番隊も変わらず、長年旭日の右腕と言われてきた相棒がその役を務めていた。
3番隊隊長もまた、瑠璃は18歳のころから14年間務めあげた。
八神の部隊は20以上もあり、1番隊をトップとしてその下に連なり、番号が純粋に強さと直結した。
そして強い部隊ほど、人数は多く大所帯で、2桁番隊にまでなると、少なくて4〜5人の小部隊となった。
兵たちは、1桁番隊、つまりは1〜9番隊に入れば一人前とされ、皆それを目指して訓練する。
そして1桁番隊の隊長ともなれば、八神家中の八神家。
強さと統率力は群を抜いていて、皆の信望も厚かった。
そんな中でも、1〜3番隊は別格。
小国の軍隊に引けをとらない強さを有し、また、自分の隊だけでなく、下級の隊へ命令を出す権限もある。
3番隊までの隊長に任命されることは名誉であり、真の八神家と認められたことを意味していた。
そのため、八神家内でも発言権は強くなり、隊を引退したあとでもご意見番として、八神家の時事についてああだこうだいうことができるのだ。
琥珀がよく意見が衝突したり、毛嫌いしたりしている本家の偉い方は、ほとんどが引退した3番隊までの元隊長たちだった。
どんな発言をしようとも、戦歴でその強さは証明されており、強さがものをいう八神家ではわかりやすく、贔屓され意見が通るのだった。
罰則がきついのも、この人たちが決めているからだった。
昔から受け継がれてきた風習は、そう簡単には変わらなかった。
それだけに、翡翠の当主任命は、八神家全体を驚かせる事態になったのだ。
翡翠は1桁番隊の隊をもったことがなく、隊をもっていても、ほとんど実地には向かわず、指示をするだけだった。
しかしながら、元当主銀蔵の命令は絶対なだけに、いくら元隊長たちでも覆すことはできなかった。
今思えばベッドから動けない状況なのに、隊をもたせていた銀蔵は、翡翠が孫だからというだけでなく、
___いや、むしろその才能を認めていたのだと考えられる。
どんなに私的な思いで排除したくても、八神家全体のことを考えると___個より集団の利益を考えたとき、
翡翠の才能は八神家に必要であると、銀蔵は肯定していたことになる。
そんな序列がものをいう八神家で起きた変革。
それが琥珀の2番隊隊長の任命だった。
長老たちは、自分たちが知る限りでは銀龍以外に他に例はないと、口々に言った。
銀龍は、銀蔵の亡くなった弟で、生きていれば当主になっていたと誰もが口をそろえるほど強い人だった。
瑠璃が結婚を期に、八神家を離れるということも驚かせたが、
それを期に、まだ当時16歳の琥珀が選ばれたことは八神家に大きな衝撃を与えた。
しかし誰も、琥珀以外に適任はいないとは心の中では思っていた。
今まで2番隊の隊長だった八神 山葵(ワサビ)が老いを理由に隊長の辞退を翡翠に申し入れ、それが認められたのだ。
しかし数年は隊の強化のため、1番隊の副隊長となり、旭日の参謀として尽くすことを約束させた。
そんなわけで、空きが出た2番隊に、繰り上げで琥珀が入ったのだ。
琥珀は、学園の混乱のほとぼりが冷める頃、13歳の時、5番隊から4番隊に昇格していた。
そこでの活躍も十分に認められていたのだった。
もっとさかのぼると、7歳に異例の1桁番隊の隊長デビュー__7番隊隊長を銀蔵に任命され、周囲を驚かせた神童エピソードもある。
普通は、2桁番隊のデビューで、どんなに優秀でも7歳、15番隊隊長が定石だった。
もちろん、成人しても隊長になれないものもいるし、30歳でやっと初めて隊長に任命される者もいるのだ。
そんな中で銀蔵が目をつけた琥珀の才能は、やはり別格、異例中の異例としかいいようがなかった。
一気に2番隊と3番隊の隊長が抜け、長老たちに最初は不安がられたが、1年経った今、問題なく隊は機能していた。
琥珀の才能は、否応なく発揮されていた。
4番隊もそこそこ大きな部隊だったが、2つ上の2番隊は比ではない。
7番隊から5番隊への昇格の時とは責任感や心構えから、まるで違った。
さらには3番隊までの隊長は下の部隊もみて、その隊長に命令しなければならない。
さらに広い視野が必要だった。
1つ1つの任務が重く、今までと格段に疲れの度合いが違った。
父、旭日にも、
「2番隊隊長になったからには、お前はもう隊長としては一人前扱いだ。
年齢など関係ない。
もう、下級の隊長扱いはしない。
お前が下の隊長たちに指示するんだ。
今までとは景色が大きくかわることを覚悟しておけ」
と言われた。
まだまだ、父の偉大な背中には追い付けないと、その時は思ったのだった。
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