今日俺

□恋恋
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恋恋





なんにも言わなかった。
中野はなにも。

中野と初めて体を重ねた時。

反応でわかるだろう、俺が男を受け入れるのが初めてじゃないってこと。
何回も何回もそんなことをして、むしろそういう行為が好きなんだろうってこと。
自分から動いて、喘いで、快感を貪る俺をみて、中野はなにも。
なんにも言わなかったんだ。

でもずっと、ずっとキスをくれた。何回も何回も。
やさしい雨のように心地よいキスを。

中野、中野。
もっとして。
くちづけされた部分から中野が体の中にはいってくるような感覚。このまますべてにキスされて、自分の全部が中野と同化してしまえばいいのにって思った。



――俺の体は中野に抱かれてもいいのかな。
色んな人間に好きにさせてきた。
心から好きになった人に抱かせてもいいのかな――

消したい過去、消えない過去。
この体に染みついているもの。
切り離せない事実。

俺なんか、俺なんか、俺なんか―――



「伊藤」



底へ落ちていくような思考の渦の中、中野の声が俺をすくいあげた。

「いとう」

俺の下にいる中野の、見上げる目の周りが水滴で濡れていた。

「中野、なんで泣いているの?」

問う俺に中野は困ったように笑う。



ぴとん。



中野の頬に水滴が落ちた。
なんだろう。
このアパートは確かに古いけど、雨漏りするほどではない筈だ。
それに今は、雨も降っていない。

そんなことを考えてたら、俺の腰辺りにあった中野の手が左右に伸びてきて顔をはさんだ。
そしてその手の温かさが、自分の頬の冷たさと、冷たくしている原因は自分が涙を流していることだと教えてくれた。

「伊藤、」

中野の声が鼓膜をふるわすのにうっとりと目を閉じた。振動はそのまま背筋をつたい、手足の先まで届くのを感じる。
その痺れに似た甘い感覚を、中野にも教えてあげたい気持ちに駆られる。繋がっているところから、ふれあっているところから、二人が一人になれたらいいのに。

中野の一部になれたらいいのに。

「……俺は、お前の感触が好きだ。髪も、頬も、…この涙だって全部。お前がいてよかったって、俺はそう思う」

「中野」

「お前の過去がどうだって、そんなの関係ねーんだ。ただ、出会えた。それだけで…」

俺の両目を捉えて中野が言う。
ぴくりともぶれない、きれいな瞳。

――ああ、中野。好き。好き。好き。

背中を丸く縮めて、中野を抱きしめた。俺より少し体温の高いその体は、適度な弾力で俺の皮膚を受けとめる。

「…俺も、中野の感触好きだよ。声も、肌も、目も、全部好き。……だから、もっと、俺にちょうだい」

――そういえば俺は気持ちのいいことが好きで、そういうことは二人の体がなければ出来ない。
ふたりがひとりになってしまえば、触れあうことは出来ないんだ。

それは嫌だな。
だって、中野とするのはこれが始めてで、もっともっと色んなことをしたいから。

中野の顔の両脇に手をついて、こぼれ落ちた涙を舐めとった。

「しょっぱい」

言って笑ったら、中野も「当たり前だ」と笑った。





また涙が溢れて中野の顔や体を濡らしたけど、もうその涙は冷たくなんかなかった。

きっとそれは、中野がくれたキスで生まれた涙だからだろう。




おわり

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