短文

□木いちごの香りに酔って
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『貴方…お腹空いてるの?』


「……ハイ。空いています。いつも腹ペコなんです」

『今日、調理実習でつくったマフィンならあるけど…いる?』

「いいんですか?」




『いいよ。私、甘いモン嫌いだから』





そう言った彼女からは、甘い甘い木いちごの香りがした。

甘いモン、嫌い。

イントネーションは違えど自分の名前であるそれで嫌いと言われて少し悲しかった。






彼女に会ったのは4日くらい前。

兄上の命で学園に来たはいいけど、此処は酷く退屈な場所だった。

何も起こらない。何もない。

もう学園中の食物は殆ど制覇してしまったし。


とにかく、あの時のボクは酷く退屈だった。





(お腹が空いた)





退屈が生まれると空腹を思い出してしまう。

その繰り返しだ。


日差しを凌ぎつつ木の上で昼寝をしていると、突然、甘い香りが鼻を擽った。

捥ぎたての木いちごの香り。

甘酸っぱい匂いだった。





『…お腹の音凄いけど、

貴方…お腹空いてるの?』





此方を見上げてそう苦笑した女が、マフィンをくれた。

1つは、蜂蜜がかかったマフィン。

もう1つは南瓜の風味があるマフィンだった。


甘いモノが嫌い、そう言ったワリには、この学園で食べたどのお菓子よりも甘い味がした。





(なんて美味しいんだろう)





無意識に舌で口の周りを舐め取り、そう思った。

マフィンの入った袋を留めていた深海色のリボンを太陽に透かし、彼女の顔とあの甘い香りを思い出してみた。





(いつお礼を言いに行こうか)

(オンナノコは確か、お花が好きなんだっけ)

(じゃあ、あの花畑にでも連れて行こう)

(ああ、鍵は一般人の前で使うのはいけないんだった)





ぐるぐると思考を巡らせていると、退屈はなくなり、それに連動して空腹感も次第と消えた。


























「――――お久しぶりです」





結局、あれから彼女に会いに行ったのは、マフィンを受け取った1週間後だった。

突然現れたボクにきょとんとした彼女だったが、すぐににぱっと笑った。





『嗚呼、あの時の』

「ハイ。その節はどうも」

『いや、此方こそ。あのマフィンをどうしようか困っていたものだから』

「とてもおいしかったです。だから、何か貴方にお礼をさせてください」





そう言えば彼女はまた驚いて瞳をぱちぱちと瞬かせた。

いいよ、そんなの。そう言って断るのを粘ると、彼女は考える仕草を見せ、数十秒悩んで思いついたモノを告げた。





『誰にも内緒にしてくれる?』

「?、ハイ」

『私ね、この学園校区の外で行きたい所があるの』





そこに連れていって欲しい、そう言った彼女に「学園の生徒は簡単に外に出られないハズでは」と言ってみれば、

『だからお願いしてるんだ。共犯者になってほしいだけ』と言われてしまった。

…ボクは元々余所者なのだけれど。





「いいですよ」

『本当!?』

「ハイ。場所を教えて下さい。それから、目を瞑って」

『?』





言われたとおりに住所と目的の場所の名前を告げた彼女は、目をぎゅっと瞑った。

手を握ると、僅かに肩をはねさせた。





「貴方の名前を教えてください」

『なまえ、だよ』

「なまえ、ですか。いい名前ですね」


『あ、私も名前…教えてくれる?』

「ボクはアマイモンと言います」





変わった名前、そう言ってクスリと笑ったなまえの手を引き、ボクは近くのドアへと無限の鍵を差し、ノブを回した。




























『…わ、』

「着きました」





なまえは目の前の光景が信じられないというように口元を覆い、絶句していた。

驚いたのはボクも同じだった。

言われて来てみた場所


…その店は、欧州の雰囲気が漂う小さなケーキ屋だったからだ。





「…甘いモノはお嫌いでは?」

『だから言ったでしょ。内緒にしてって』





悪戯っぽくウィンクをしたなまえから思わず目を逸らすと、彼女はくるりと店に向き直り、扉を開けた。

ウィンドチャイムの軽い音が鳴り、来店を歓迎しているようだった。


店のショーケースに並べられたのはごく普通のショートケーキやチョコレートケーキ。

別段目立たないその形が返って他の店にはない面持ちがあった。





『端から端まで、全部2つずつお願いします』





笑顔でそう告げたなまえに驚きつつ、店員はいそいそとケーキを取り出し始めた。

店内の小さなカフェ形式のテーブルにつくなまえ。





「あの量を二つずつ食べるんですか?」

『?アマイモン食べないの?』

「?」

『2人で食べようと思ったから、2つずつ頼んだの!』





そう言いながら、彼女はケーキと共に運ばれてきた紅茶に砂糖を何杯も何杯も入れた。

早速ケーキを一口頬張ったなまえは、





『やっぱり、あまいもん好きだなあ』





幸せそうにそう言うなまえがあまりにも可愛いかったから。

その言葉の意味を勝手に取り違えさせてもらう事にした。







(木いちごの香りに酔って)


→あとがき

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