調べ物をしていた手を止め、天戒は閉じた瞼を指で押さえて、大きく一度息を吐き出した。
 文机の上には、膨大な量の書籍や巻物が広げられている。
 一向に終わらないそれが、自らの心の迷いを露呈しているかのようで、思わず視界から排除しようと再び目を閉じる。

 額に手を当て無意識に溜め息を吐いたとき、コトン、と何かが音を立てた。

「――はい」

 驚いて目を開けると、目の前には湯気の立ち上る湯呑みが置かれており、隣から龍斗が顔を覗き込んでいた。

「驚かせてごめん。声掛けたんだけど、気付いてないみたいだったから」
「そうか……すまぬ」

 龍斗はニコリと微笑み、盆を抱えたまま天戒の隣へ腰を下ろす。

 決して邪魔にならないよう、それでいて安心させるように寄り添う、肩と肩がかすかに触れるかどうかというその距離が心地良い。疲れているとそっと安らぎを与えてくれる、さりげない龍斗の気遣いが嬉しかった。

 思わずフッと笑みが零れ、それに気付いた龍斗が訝しげに振り返る。

「何…?」
「いや…。おまえは良く出来た嫁だと、尚雲が言っていたのを思い出してな」
「九桐め…。あいつ、まだそんなことを……」

 盛大に顔を顰める龍斗に、天戒は苦笑する。

「まあ…嫁云々はさておき、実際その通りだ」
「え?」
「おまえは俺にはもったいないと思うことがある」

 そう言って、龍斗の目に掛かる前髪を、長い指がサラリと弄ぶ。一瞬だけ視線が交わった後、天戒は龍斗の肩に頭を預け、目を閉じた。

「…天戒…?」

 瞼を閉じたその表情は、普段の凛とした佇まいとは違って、どこか幼くさえ見える。
 二人きりのときにだけ見せる――いや、それでもほとんど見ることのない表情。
 甘えてくれているのだとわかり、たちまち込み上げるくすぐったい気持ちを感じながら、龍斗は少し身体をずらして自分の胸に天戒を抱き寄せた。

 躊躇いがちに、片手でそっと髪に触れると、胸に額を押し当てたまま、天戒が小さく微笑う気配がする。それにつられるように微笑み、龍斗はその頭を優しく撫でた。

「……これじゃあ、奥さんて言うよりお母さんだな」

 苦笑混じりに呟く龍斗に、天戒は喉を鳴らして笑うと、畳に片手を付いて身体を起こし、顔を上げる。

「おまえに“母”は求めぬ」

 わかるだろう?と低く囁いて、天戒はそのまま龍斗に唇を重ねた。
 その啄むような口付けまでもが、甘えられているようで嬉しくて、龍斗の顔に自然と笑みをもたらす。

「……嫁というのも悪くはないが」

 そう言いながら、今度は天戒が龍斗を抱き寄せる。
 
「俺にとってのおまえは、ただの“緋勇龍斗”でいい。求めているのは、それだけだ」

 穏やかで優しい時間。伝わってくる鼓動。感じる温もり。
 華奢な身体を包み込めば、幸せが身体中に染み込んでいくような気がする。


「――…天戒」

 視線が交わると同時に、再び触れ合う唇。

 ゆっくり離れたそれが、甘く言葉を紡いだ。


『あいしてる』

 


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