大江戸監察事件簿
□大江戸監察事件簿58
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その日人形は馴染みの鍛冶屋のもとへ出向いていた。一応は非番であるためにいつぞやにお登勢から譲り受けた着物を身にまとっている。
首元には赤いマフラーがまかれているが、吐く息は白い。
鍛冶屋には自分の獲物であるクナイと忍者刀を預けた。
いつもの身にまとっていたものがなく少し心もとない気もするが、本来人形は武器を扱った戦いよりも肉弾戦を得意とする。
何か起きても特に問題はないだろう。
「(どっかカフェでも寄っていこうかな)」
なんとなく、せっかく町まで出たのにこのまま帰るのはもったいない。
人形は一度止めた足を再びふみだした。
「…」
ふみだそうとしてやめた。
特徴的な上品な香の匂いが鼻をかすめる。おおよそ一般人にはわからないような、そんな些細な香りだったが、人形にはしっかりと認識できる。
そして過去一度嗅いだことのあるその香りを忘れることはない。
人形は香りのもとをたどるように、今度こそ歩み進めた。
「……桂…」
薄暗い路地裏。高い建物の隙間の、室外機の影に隠れるように立っていた人物。
「来たか、女」
一見すると僧侶のような格好をしているが、目の前の男は間違いなく第一級の指名手配犯だ。
「(しまったな)」
『狂乱の貴公子』『逃げの小太郎』の通り名に表れているように彼はよく逃走に爆弾を使う。今日も変わらず爆弾を所持している可能性がある。
今遠距離武器がない人形にとっては相性の悪い相手だ。
「そう警戒するな、と言っても無駄か」
「自分の立場を弁えてから言うことね」
桂は一度ため息をつくと体を人形の正面へと向きなおした。
「何かしようと思うならわざわざ非番のお前を狙って接触しようとは思わんわ」
「そう」
人形もそのことはわかっていた。一応は話を聞く気持ちがあることを示すために、胸元まで上げていた両手の握りこぶしをほどいて下げた。
もちろん、いつでも跳びかかる覚悟はあるが。
「まったく、手負いの獣より恐ろしい女だ」
「ありがとうと言っておくわ」
簡単な軽口を叩けるほどにはお互いの警戒レベルは下がった。
桂はようやく本題に入る。
「先日妙な薬が流行ったであろう」
その言葉を聞いて、人形の脳裏にひと月ほど前の出来事が一気に蘇る。
赤褐色の粉、お守り、薄れていく自分の意識…。
『いや、熱い、痛い、いやああ』
崩れていく女の顔。
『オンハッタソワカ』
「聞いておるのか」
「…ッ!…ええ、ごめんなさい。続けて」
過去の記憶に一瞬飲みこまれていた人形だが、桂の声で我に返る。桂はそんな人形を一度じっくりと見るが、再び続けた。
「あれは危険すぎる代物だった。御上が動いたのもお前の功績が大きいらしいな」
「…どうも。機密事項をよくもまあ」
「何も諜報活動はお前の専売特許ではない、ということだ。とにかく、あれを早い段階で抑え込めたのはお前たちの手柄と言っていいだろう」
なぜこいつに上から目線で褒められなければいけないのか。人形は嫌悪感を隠しもせずあらわにする。
「お前、あの薬がどこからやってきたものか知っているか」
それはずっと疑問だった。
一時爆発的に広がった薬はあの狂った女一人で捌ききれる量ではない。そして同じように製造できる代物でもない。
人形は首を横に振った。
「わからないわ。あの一件は上にあげられてしまったから。もう私達の管轄外なのよ。箝口令もしかれているわ」
「そうだろうな」
何かをしったような桂の口ぶりに人形は片眉をあげた。桂もこちらを見据えている。
「聞くか?聞けば後には引けんぞ」
桂は明らかに何か重要な情報をつかんでいる。そしてわざわざ己が一人の所を狙って接触したということは、彼なりの意図があるということだ。
『真選組』という立場を利用して、『真選組』に気づかれないように動けということだ。
良いように使われている、と感じながらも人形には頷くしか道は残されていない。これが、己の運命なのかもしれない。
「いいわ。聞かせて」
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