大江戸監察事件簿

□大江戸監察事件簿34
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見合いは滞りなく進んだ。
相手方は人形を大層気に入り、緊張しつつも積極的に話しかけた。
人形も人形ででしゃばり過ぎず、うまく相づちを打つ。それもいかにも話に興味があるようにするもんだから、相手が気に入らないわけがなかった。


「それでその品物が」
「まあ。そんな理由でしたの」


今は相手方が手掛ける商いの話題だった。時折失敗談を交えながら話す男も、松平から見て中々の好印象だった。話も上手いこと盛り上がっている。
そろそろ頃合いか。


「そういえばこの料亭は庭園があってなぁ。そりゃあ見事なもんらしい。どうだ?見に行ってみたら」


いわゆる『後はお若い者同士で』というやつだ。
その意味を正確に理解したのか男はすぐに立ち上がった。


「それは良い。見に行きませんか人形さん」
「ええ興味ありますわ」


人形も静かに立ち上がる。しかし先ほどと同じように歩きはせず、ただその場で待つ。


「あ、あの、お手をどうぞ!」


にっこりと微笑んで男の腕に手を添える人形に松平は思わず苦笑した。
仲介役の松平ではなく、婚約前の男女である。あのように密着して手をとる必要はない。


(ありゃあ立派なハニートラップだ)


思えば人形は真選組が誇る監察方。本気を出せばあのような演技は容易いはずだ。
すでに気づかぬうちに人形の意のままに操られている男に、松平は心底同情した。




所かわって中庭。
松平が言ったとおり、枯山水の庭園は見事なもので、人形は見合い中であるにも関わらず純粋にその景色を楽しんでいた。

やがて小さな太鼓橋にさしかかると、男が歩みを止める。


「人形さん」


男は人形の正面に向き直り、美しく飾られた人形の両手を優しく握った。
人形はそこから小さな震えを感じ、落ち着けるように軽く握り返した。


「今日初めてお会いしたばかりで言うことではないかも知れませんが、僕はあなたが好きです」


必死そのものの視線を人形は見つめ返した。


「結婚を前提に、お付き合いしていただけませんか?」


すがるような声であったが、しっかりとした芯があった。決して冗談やその場の流れで言ったのではないことが伝わる。
人形はこの男の誠実さに応えようと決めた。


ぱきり

男にとられていた手を引き、目の前で右の人差し指の爪を剥がす。


「何を!」
「つけ爪ですのでご心配なさらず」


やがて手の内を自分側に、甲を男側に向けて立て、指を見せつけた。
男に視線が、一ヶ所に集められているのがわかる。


「こちらは潜入先から逃げ出す時に剥がしました」


そして次は右の袖を二の腕近くにまで捲りあげる。


「こちらは攘夷浪士と打ち合った際に」


次は左の腕。


「こちらは捕まった時に受けた拷問の跡です」


どの傷跡も、どこでどういった時に出来たものか全て覚えている。
驚いて声もあげられない様子の男に、人形は微笑んで告げた。


「私が生きるのはこういう世界です」





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