捧物

□素足のカテリーナ
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【素足のカテリーナ】

麗らかな小春日和の公園のベンチに素足のまま放り出されたカテリーナは小さく溜め息をついていた。本当なら今頃初めて訪れた街の、初めて訪れた公園で沢山のトレーナーと有意義なバトルを楽しむはずだった。それが今は、無邪気に降り注ぐ陽光が恨めしく、その下の笑顔を見ていると無性にもどかしいような、その反面大人しく空虚感が胸内に立ち込めるのだ。
その少女、橘レンはまだ冷えきっているペットボトルを赤く熟れた患部に押し当てた。痛みはそんな物で癒える筈も無いのだけれど、気休めには丁度良かった。
傍らで、相棒のヒトモシが彼女を気遣うように小さく寄り添ってきた。
「心配するな夜、大した怪我では無い。少し落ち着いたら病院に行こう。」
と、強がって笑って見せたもの、少なからずレンにはまだ不安があった。トレーナーが多く集まっているというセントラルパークに到着するのも時間がかかったと言うのに、病院の位置なんて人に道を聞かないと到底予想もつかない。その上この大都会ヒウンシティの住人は忙しい故に他人には冷たいと有名だ。今のレンにとってこの街はまるで魔界の深淵、或いは混沌。レンはポケモン達に聞こえないように再度小さく溜め息をついた。
「ねぇお姉さん、一人?」
レンの目の前で立ち止まった人間がふいに声かけた。そのナンパ口調な中性的な少年声には、確かに聞き覚えがあった。焦燥感を胸に顔を上げると、やはり其処には皮肉な笑顔の自分と同年代であろう少年が立っていた。
「良かったら、ぼくが道案内してあげましょうか?なんてね。」
「あ…アイ…」
彼はレンの友人(と思っている)である三陽アイ。小春日和すら鋭利に照り返す強い髪の銀色が印象的な彼は、相変わらずのナンパ口調でレンに近寄って来た。
「どうしたの、こんな所で。」
「その…慣れない靴を履いたせいで、段差で足を捻ってしまったんだ。」
「で、捻挫?」
「……」
「どんだけ思い切り捻ったのさ。てかきみの体が脆いだけ?」
可憐な容姿の癖に勝ち気で強がりで、だけど何処か抜けているところが堪らなく可愛いて、見ていて飽きない女。アイの中のレンの印象は最初から何一つ裏切られない。見ていて飽きない女、だからこそ面白い。
「足見せて」
アイの言葉に従ってレンは痛む右素足を差し出した。アイの筋ばった、齢十四とは思えない程男性的な指が白い足首に絡み付く。
「今ポケモン用の傷薬しか無いけど、とりあえず散布しとくね。」
「それは人間がつけても良いのか?」
「ポケモンに効くなら人間にも効くでしょ。」
そう言ってアイは鞄から一つの小さな傷薬を取り出した。相変わらずいい加減な性分の男だと改めてレンは思う。
「大体そんな貴重な回復アイテム、こんなとこで使って良いのか?」
「だって、こんな小さな傷薬じゃぼくの天才的なポケモン達は満足に回復出来ないもん。使い道他に無いからまだまだ弱いレンに使ってあげるの。」
「僕はポケモンじゃないッ」
透明に透き通るような声が、木漏れ日に浸透する。苛立ちを誘うアイの吐息混じりの声も此処ではひとかけらの春だ。
傷薬が患部に散布される。冷たい鋭い痛みが一瞬走ったかと思うと、あとは不可解な心地よさだけが広がっていった。
「んっ、これで良いかな。」
「有難い。少し楽になった気がする。」
レンの足を見詰めるアイの横顔は、今は優しげだった。レンは、こんなどうしようも無くて男の風上にも置けないようなアイでも、本当は優しい。悪人では無いはずなんだ。とばかり思っていたが、彼女の憶測は正しかったみたいだ。レンは初めて、アイの横顔に安らぎを貰った。
「こんな高いヒールの靴でヒウンシティに来るなんて命知らずだよ。」
「そ、そうか…次からは歩き易い靴にする。」
「ぼく、良い靴屋知ってるよ。」
「本当か?じゃあ、今度一緒に…」
「きみの綺麗な足にピッタリな靴を探してあげるよ。」
ふとレンは無傷である左足に違和感を覚えた。それはアイが足を撫でていたからだった。そして足の甲に唇を落とされる。そっと音もなく。まるで騎士が王妃に忠誠に近い愛を誓うような素振りで。
「…本当に、綺麗な足だね。」
一瞬にしてレンは自分の顔面が熱くなっていったのを感じた。堪らずアイの腹に蹴りを入れてやろうとしたが、何故だか足に力が入らない。と、瞬間、傍らのヒトモシが怒りをこめて強く鳴いた。
「っわ?!」
何ともお間抜けなアイの悲鳴が公園中に響く。どうやらヒトモシがアイに弾ける炎で攻撃したみたいだった。間一髪で炎を避けたアイはやがて再びレンに近寄って来た。
「全く…アイのそおいう態度はどうにかならないのか…」
「生まれつきこの性格だから。」
「はぁ…」
その、女性をたぶらかしたがる性格さえ無ければもう少し心許し合える仲になれるだろうに。レンにとってそれが残念でならない。
「ほら、おいで。」
途端に優しくなったアイの声。気付いたらレンの体は宙に浮いていた。腰と足はしっかりとアイの腕に抱き締められて。そうこれは所謂お姫様抱っこ。
「アイっ、待て、これは一体…?!」
「とりあえず病院にまで行かないと。」
「一人で行ける…」
「あっそ。でもヒウンの事ならヒウンの人間が一番頼りになると思うんだ。」
そういえば彼はヒウン住まいだった。しかしレンにとってはそんな事より今この体勢で居る事がとてつもなく気恥ずかしい。その上相手はあのアイだ。腰に回された腕はまるで知らない男の腕みたいに力強くて、頼りになって、温かい。
「あ、アイ…」
「ん?」
「有難う…」
「…ふふっ、お誉め頂き光栄です。お姫サマ。」
卑しく不敵な笑みのアイは、レンが夢に見る『王子様』とは程遠いけれど、この不思議な浮遊感はまさに夢心地だった。


Fin,

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