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□その想いは時を超えて
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仙蔵は日比谷駅を降りると職場に向かった。
朝とは言え、夏の日差しは既に刺さるようで、けたたましく啼く蝉の声はいつもより余計に煩わしく思えた。

暑さで気が狂ってしまいそうだから、夏は嫌いだ。

オフィスに入ると、綾部の姿が見えたが、どうも自分の席に座っていた。


仙蔵は綾部の背後から声をかけた。

「…綾部。」

「あ。センパイおはようございます。」
綾部は振り返らず言った。

「お前な。」
仙蔵は自分のデスクの上を見て思わず固まる。

「はい〜。今日はいっぱい取れました」

「…っ。その1! セミの抜け殻をわたしのデスクに並べないっ!
その2!! 職場では、警部補、若しくはさん付けで呼べっ!
その3!!! 報告書は出来ているんだろうなぁ!」

仙蔵は声を荒げた。

「わぁ…! その3はやってあります!」

はいっ!と綾部が書類を差し出した。

「コレは!?」

仙蔵はデスクを指差す。

「えへへ、いいでしょう?」
「良くない!早く片付けろ」
「良くないですか〜?昔は喜んでくれたのに」
「いつの話だ。」
「本郷キャンパスに沢山いたでしょ。懐かしくないですか?」

「…。」

仙蔵は、無言で蝉の抜け殻をゴミ籠にざらざらと入れた。

「あ〜あ!」

「全く。早く席に戻れ。九時半からのブリーフィングにはお前も参加してもらうぞ」

「はい!分かってます」

綾部はそう言ってにっこり笑うとスタスタと行ってしまった。



仙蔵は席につくと、大きな溜め息をついた。
なんだか苛々している。
自分に対して苛立っているのだ。
もう絶対、連絡を取らないと決めた相手にメールを送った。

会いたい、と。

一瞬遭っただけなのに。
あの声が、あの顔が、こうもあっさりと決心を揺るがすのだ。

文次郎と会わないようになってからこんなにも時間が経つというのに…。


どうして惹かれて止まないのだろう。



仙蔵は椅子に座りパソコンの電源を入れると再びため息をついた。



文次郎とは喧嘩をしたわけでも、嫌いになって別れたわけでもなかった。
けれども別れの時は驚くほどあっさり、そして突然訪れた。

大学三年の秋、文次郎が海外に留学することになったのだ。

文次郎は優秀な奴だったから、分からなくもないが、飛び級してロンドンにあるビジネススクールの大学院に入学することになった。
指導教官が強く推薦してくれたと言っていたが、そうだとしても、留学を決断したのは文次郎の意志だ。

当時は自分もまだ青かったから、文次郎にはだいぶ我が儘を言ったし、彼は自分の思い通りになるとばっかり思っていた。

だから、彼が留学すると決めた時、彼には彼の選択も、彼なりの人生もあるんだ、と、はっきりと自覚してしまった。

文次郎はきっかり二年で戻る、と言ったが、彼が出国した後、自分は住む家も連絡先も全て変えた。

そして彼のことを忘れようと努力した。


二年後、文次郎が経済学修士を取って帰国したらしいことも、自分のことを捜しているらしいことも、風の噂で聞いたが、もう会う気はなかった。

逢ってしまったら、きっとまた文次郎を好きになる。

文次郎の人生を自分の我が儘に付き合わせるわけにはいかない…。
そう思ったからだ。







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