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□その想いは時を超えて
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それから半年後---



俺と仙蔵は学生の時の関係に戻った。
俗に言えば、元サヤってやつだろう。

めでたく戻れたからこそ思うわけだが、9年間も連絡を寄越してこなかった仙蔵の頑固さには改めて驚くし、
その間、どこかで仙蔵を諦めきれず、特定の恋人を作れずにいた自分の弱さにもうんざりしてしまう。

その一方で、再び仙蔵と恋仲に戻れたことを手放しで喜べないでいる自分もいた。

一つは、互いに仕事が忙しく休みも不定期だったから、会う機会が少なく、それが原因で喧嘩が絶えないことだ。

それに、もうすぐ三十路を迎える。
好きだ、という感情だけで一緒にいるのは惰性のような、甘えのような…子どもじみた恋愛に思える。
そろそろ大人としての身の振りも考えねばならない。


仙蔵と恋仲に戻ってから、自分は彼をどれだけ満足させているだろう。

自分につき合わすことで、むしろ彼の人生を不幸にはしていなかいか?


文次郎は悶々と思いを巡らせて、オフィスの窓から外を見渡した。

季節は冬から春へと移ろう頃で、柔らかい日差しが六本木の高層ビル群を包んでいた。

「せめて春になる前に温泉でも行こう」と言い出した恋人との約束を果たすため、今週は東奔西走だ。

週末に仕事でも入ろうものなら、また仙蔵をがっかりさせることになる。



文次郎が考えごとをしていると、デスクの電話が鳴った。内線だ。
電話を取ると上司の安藤部長の声がした。

「もしもし、潮江くん?今から第三応接に来なさい」

「ご来客ですか?何かお持ちするものでも…?」

「いや、わたし一人です。潮江君に話があります。」


文次郎は電話を切ると、急いで応接室のあるフロアに降りた。
部長に呼び出される心当たりもなく、何かヘマでもやらかしたのか、と、首を傾げながら応接室の扉をノックした。

「入りなさい」

部屋に入り、安藤部長の向かいに座ると、彼は、皮の手帳に視線を落として、話し始めた。

「えー、潮江くん。先月提出してもらった自己身上書の希望部署の欄、『現部署』にチェックをつけていたようですが。
何か特別な事情でも…?」

「いえ…。アーツコーヒーとの取引も軌道に乗るまで責任を果たしたいと考えておりまして…。他意はありません」

「ふぅん、まぁ、業務のことなら何ら問題ありませんが…。
君は、これまでずっと海外勤務を希望していたから、特殊事情がなければそれでいいんです。」

安藤部長は一呼吸おくと神妙な面持ちで続けた。

「君に異動命令が出ましてね、新しい勤務地はニューヨークになります」

「異動?ニューヨークに…?いつからです?」
文次郎は思わず身を乗り出した。

「着任は4月いっぴからです。まぁそんな心配そうな顔しなくても、引っ越しだって、新居の手配だって、希望を言って貰えばこちらでやりますからねぇ」

「いえ。…それは助かりますが…。」

「あぁ、それから、大切なことを言い忘れていました。君は昇格してニューヨーク支社では課長対応になる。おめでとう」

「は、恐れ入ります」

「君はうちの部署の稼ぎ頭だったからねぇ、外には出したくなかったんですが…。まぁ勉強してきなさい」

「はい」

「それにしても、潮江くん、いいですねぇ、ニューヨークにはいい温泉がある…」

「…え?」

「ニューヨークで入浴!なんちゃって!はっはっは。アメリカンジョークですよ」

「はぁ…」




文次郎は応接室を後にすると、最上階の展望デッキに向かった。

展望デッキはがらんとして、空気はひんやりと冷たかった。
大きな窓の外には、無機質な建物の群れとその向こうに東京タワーが見える。



『4月いっぴからニューヨーク勤務』
文次郎はそのことで頭が一杯だった。



ずっと海外勤務が夢だった。
安易な憧れからじゃない、世界の経済をこの手で動かす、これが、自分の使命だと信じているからだ。

ニューヨークは経済の要。
ビジネスマンとして一花咲かせるには最高の舞台じゃないか。

嬉しくないはずがないだろう。

でも、何故だ…?
俺は今にも泣いてしまいそうだ。


ニューヨークに転勤となれば、仙蔵とは別れるしかない。

こんなに好きあっているのに…。


「仙蔵……」


学生の頃から何も変わっていないじゃないか。

自分の思い通りになることなど、一つとしてないのだ。



「くっそ…!」

文次郎はギリリと奥歯を噛みしめると、額を勢いよく壁に打ち付けた。








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