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□その想いは時を超えて
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受話器を勢い良く置いた潮江文次郎は、憔悴しきった表情で天を仰いだ。


「コロンビアの税関で足止め食らってんじゃ、来週の納品、確実に無理じゃねぇか…!」


頭上のライトを除いてオフィスの照明はとっくに落とされている。
時計の針が深夜2時を指す頃になれば、文次郎の独り言にフォローを入れる人間など居ない。

「くそっ、どうする…」

ドスリ、と、椅子にもたれると文次郎は腕を組んだ。



文次郎は、大学卒業後、大手総合商社に就職した。
今は、中南米担当で主な商材は珈琲豆である。
先月までクライアントのアーツコーヒーとコロンビアの珈琲農園を視察し、最上級の豆を買い付け、来週頭には納品する手筈になっていた。
しかしたった今、現地の駐在員から納品が遅れそうだという報告が入ったのだ。


(成田の倉庫に在庫確認して…、あとは、来月納期のスターバックス用を一時的にあてがうか…?)

文次郎は咄嗟に受話器をとったが、ディスプレイに表示された時刻を見て、大人しく受話器を置いた。

(駄目だ。)

こんな深夜に働いている人間は、よっぽどの仕事バカだ。
文次郎は思い直すと、再びどっかりと椅子に凭れて掌で目のあたりを覆った。



クライアントのアーツコーヒーは、文次郎が新規に獲得した大切な顧客だ。
それだけに力も入る。
初っぱなの仕事で失敗するわけにはいかなかった。


「いや…。」

「…帰ろう」

色々思い巡ったが、文次郎は首を振った。
どのみち朝までは動けないのだ。


文次郎の家はオフィスから徒歩圏内にある。
オフィスは六本木の高層ビルに入っているが、この辺りでも少し路地を入れば民家もアパートも結構あるのだ。
入社して暫くは、学生時代に馴染みのあった中央線沿線に住んでいたが、終電を気にしながら仕事をすることに不便さを感じて、この地にアパートを借りることにした。


文次郎は荷物を簡単にまとめるとオフィスを出た。

外は蒸し暑く、じっとりとしていた。
高層ビルの赤いライトを隠す重たい雲を見上げて、ああ、そうか、もう夏なんだな、と間抜けたことを思う。
1日の大半を空調の効いたオフィスで過ごしていると、季節に鈍くなっていけない。
それに、仕事上、地球の裏側と取引をすることが多いせいか、時間感覚までも麻痺しかけている。


文次郎が腕時計を確認すると、時刻は深夜三時近くになっていた。
まだ零時くらいに感じられるから、やはり自分の体内時計はどこか狂っているんだと思う。

それに、無性に腹が減った。
本当はすぐにでもベッドに倒れ込みたい気分だったが、今の空腹は眠気を凌駕していた。
人間とはいちいち不便にできている、と思う。







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