ブック
□お茶と算盤
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算盤を弾く音が耳に障って顔をあげる。
こちらは静かに本を読みたいというのに、さっきからどうも耳障りだ。
「会計の仕事なら会計委員の部屋でやってくれよ。」
と。
…言おうと思ったけれど、仙蔵は少し躊躇って。
やめた。
視線の先の文次郎は、帳簿を睨んで一心不乱に算盤を叩いていたからだ。
下手に声をかければ計算の邪魔をしかねないし、そもそも熱中しすぎて、自分の声は彼の耳には届かないかもしれない。
仙蔵はそんなことを考えて、算盤の音を我慢することにした。
それに、仕事に打ち込む文次郎。
・・・実は、そんなに嫌いではない。
仙蔵は本を閉じると机に頬杖をついた。
文次郎の右手の指は、相変わらず忙しそうに算盤の上を踊っている。
陽に焼けた、彼の長い五指が好きだと思う。
関節の骨の感じも、手の甲に浮き出た血管も、自分より ずっと男らしいその手が好きだ。
と、そう思う。
「なんだ…?」
視線に気付いたのか、文次郎が顔を上げた。
「いいや、何でもないさ。茶でも淹れようか」
「あぁ頼む」
そう言うと彼は少し笑った。
仙蔵は立ち上がって、茶器を取りに部屋を出る。
同じ部屋で算盤を叩き、本を読み、茶を淹れて。
寝て、起きて
泣いて、笑って
こんな日常がずっと続けばいいのにと、願わずにはいられなかった。
*** おしまい ***
12.4.4