BOOK_Herrin×Diener

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朝、玄関の鏡を見ながら制服のスカートの裾を整える。

制服が整っているのを確認すると、今度は鏡に近付いて、髪をチェックした。


「はねてないよね……よし」


ちょいちょいと髪を整えていると、奥の方からお母さんが出てきた。


「今日は一段と気合いが入ってるわね。大丈夫よ、可愛いから」

「べ、別に……気合いなんて入ってないよ?」


鏡から視線を外して言うと、お母さんがおかしそうにクスクス笑う。


「だって、今日が勘右衛門くんと付き合いだして初の登校になるわけでしょう?」

「なっ……!」


ニマニマと楽しそうに笑うお母さん。

昨日の夜、お母さんには勘ちゃんと付き合うことになったことを報告した。

そうしたら、お母さんは「あらあら」とか「まあまあ」とか言いながらすごく喜んでいた。

そしてその時からずっとニヤニヤしたような顔のままなのだ。


「彼氏との登校だもの。気合い入れないわけがないわよねぇ〜」


彼氏……そう、彼氏。

人生初の彼氏。

しかも、勘ちゃんが。

小学生の頃からずっと一緒だったあの勘ちゃんが、もう下僕ではなく、私の彼氏だなんて……一晩経った今でも、ちょっとまだ実感が湧かない。


お母さんに茶化されるままカァッと赤くなっていく顔を逸らすようにして、玄関のドアを開けた。


「じゃ、じゃあっ、行ってきますっ」

「行ってらっしゃーい」


胡散臭いほど明るい声に送られて家を出ると、すぐ隣の家のインターホンを押す。

すると、家の中から勘ちゃんのお母さん――おばさんの、「はーい」という軽やかな声が聞こえて、すぐに「あああぁぁッ!!」という絶叫がおばさんの声を掻き消すように響き渡った。

何やら勘ちゃんの家の中から、ドタバタ物音と言い争うような叫び声が聞こえる。


「いい!出なくていい!俺すぐに出るからーッ!!」

「なんでよー、いいじゃない挨拶ぐらいしたってー」

「いろはちゃんに今更挨拶とかいらないし!」

「いろはちゃんはいろはちゃんでも、もう幼馴染みのいろはちゃんじゃないでしょ?彼女になったのよ?彼女にっ」

「ああああッ!かッ、彼女とか!」


ドッシャーンだのガッターンだの、ものすごい音が聞こえたあとで、尾浜家のドアがカチャリと開いた。

果たして中から出てきたのは、まだ朝だというのに、制服がヨレヨレになって髪もボサボサにした、くたびれ気味の勘ちゃんだった。

かなりヘトヘトになっているみたいだけど、笑顔だけはいつも通りの明るさで「おはよういろはちゃん」と言う。

私は呆気にとられながら頷いた。


「……おはよ。大丈夫?」

「べ、別に!これくらい平気!」


勘ちゃんはアハハと笑いながら素早く身なりを整える。

ドアも閉めて落ち着くと、「よし!」と頷いた。


「それじゃあ行こっか、いろはちゃん!」

「う、うん……」


すっかりいつも通りになった勘ちゃんから、尾浜家の方へと視線を移す。

……こっちも色々と大変みたいだ。


とりあえず学校に行かなければ遅刻する。

気を取り直して前を向くと、勘ちゃんが笑って「はい」と手を差し出した。


「“はい”?……なに?」

「手!」


ニコニコ顔の勘ちゃんと、その手を交互に見る。

手に何かを持っているわけでもないし……空っぽの手を出されても、よく意味が分からない。

首を傾げていると、勘ちゃんが「手、繋ぐだろ?」と笑顔で訊いてきた。


「せっかくだから手つないで学校行かない?」

「えぇっ!?なんで!?」


大好きな勘ちゃんと手を繋いで登校とか……!

想像しただけで恥ずかしくなって、慌てて手を後ろに隠す。

勘ちゃんがシュンとした。


「嫌……?」

「い、嫌って言うか……!何て言うか……とにかく、ちょっと……」

「うーん……やっぱり無茶だったかな」


勘ちゃんが、差し出していた手を引っ込めて、苦笑しながら頭を掻いた。

苦笑する勘ちゃんの頬も何となく赤い。

これはもしかしたら、おばさんに、手を繋ぐように無茶なゴリ押しでもされてたのかも知れない。

私たち……付き合うことになったんだもんね。

そりゃあ手ぐらい繋げとも言うか。


「……」


なんだか無意味に恥ずかしくなってきて、つい俯いてしまう。

すると勘ちゃんも気まずくなったのか、赤い顔で、泳ぐ視線をどこか遠くにやっていた。


そのまま言葉もほとんどなく、二人で学校まで歩いた。

ぎこちない会話を二、三、交わした程度で、それ以外はどちらも黙ったきりだ。

私と言えば、別に喋りたくなくて黙ってたわけじゃないんだけど……何と言うか、話題が見つからなかった。

いつもみたいに何か喋りたいのに、何故か今日に限っては何も話が出てこなかったのだ。

結果、「今日のHR何やるのかな」「俺は違うクラスだから分からないな……」「そ、そうだよね」とか、「今日もいい天気だよね」「えっ?ああ、うん」とか、「今日も部活あるの?」「そりゃああるよ。昨日、休んじゃったし……」という会話で、昨日勘ちゃんが部活を休む原因になった屋上での出来事を思い出してしまい、また恥ずかしくなって黙り込む。

私の会話スキルってこんなに絶望的だったかな……。


一人で落ち込みながら学校の近くまで来ると、同じ制服の生徒達がわらわらと校門をくぐっていく様子が見える。

それを見て立ち止まった私に、勘ちゃんも不思議そうに立ち止まった。


「いろはちゃん?」

「……」


……彼氏と彼女、だもん。

もう今までのただの幼馴染みとか、下僕とお嬢様なんかとは違う……!

ちゃんとそれらしいとこ、見せなくちゃ!


私は覚悟を決めると、キュッと勘ちゃんの手を握りにいった。

突然繋がれた手に、勘ちゃんが「えっ!?」と慌てている。


「ど、どうしたの?いきなり……」

「……っ」


私がぎゅうぅと勘ちゃんの手を握りこめば、勘ちゃんの顔が赤くなる。


「えっと……これで行く?」

「うん」


俯いたままコクリと頷くと、勘ちゃんが小さな声で「いろはちゃん……」と呟いた。

何故か、なんだかちょっとホワーンとした声だった。





そうしてニコニコ微笑む勘ちゃんと、手を繋いで学校に入った結果。


「むしろお前ら今まで付き合ってなかったのかよ!?」


私と勘ちゃんが付き合うことになったという事実はウチの学年を中心に周囲にそれとなく広まり、私と勘ちゃんの今までの関係についてよく分かっていなかった生徒達はそんな感じで驚愕していた。


「やっぱ付き合ってると思ってた人が沢山いたか……」


呆れたように呟く勘ちゃん。

そして、私と勘ちゃんが今まで“お嬢様と下僕”だったというとんでもない事実を知っていた身近な生徒達は、未だに手を繋いでいる私達を見ながら感涙している。


「やっと男として正しい道を歩み始めたんだなぁ……正常に戻って良かったなぁ尾浜……!」

「あのまま卒業まで行ったらどうしようかと思ってた……!」


やっぱり勘ちゃんの異常なドMっぷりを心配してた友人が沢山いたようだ。

勘ちゃんと別れて自分の教室に入ると、自分の友達には「良かったじゃーん」とか「おめでとー!」とか、キャッキャとそれらしく祝福をしてもらえた。

……嬉しい。

同じクラスの不破くんも、名前の通りにふわふわ笑って「おめでとう」と言ってくれた。

竹谷くんは私に会うなり、教室の窓から空に向かって「勘右衛門コノヤロー!彼女とか羨ましいんだよーッ!!」と絶叫した。(そして隣のクラスから大爆笑が聞こえた)

鉢屋くんは、「いろはチャン、ウチのバカ息子をよろしくねー」と、何故か勘ちゃんの母親ポジションに立ちながら茶化してきた。

次の休み時間には隣のクラスから久々知くんがやってきて、極上の笑顔で「おめでとう」と言いながら紙パックの豆腐ゼリーをくれた。


そして昼休みには、当の勘ちゃんが私のクラスにやってきた。


「一緒に弁当食べよう!」


わりといつも通りだった。














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