恋愛狂騒
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「太子……僕、怖いです……貴方がいないと…太子がいないと、苦しくて…っ」
「大丈夫だから、ほら深呼吸してみんしゃい?」
涙の滲む双眼を閉じたまま、太子の声だけを聞いて、頭を撫でてくれる手の温度だけを感じ、彼の言葉だけに従った。
ゆっくりと息を吸って吐く。
視界を閉ざした妹子の敏感な耳に、太子の声がしっかりと響いた。
「私の声が聞こえてる、妹子?その……今からすっごい大事なこと言うから、絶対聞き逃すなよ?まあ、ちょっと恥ずかしいから心半分で聞いてくれても構わないかな…。いや、でも私の一大決心って言うか一大イベントって言うか、アレだしな…」
「た、太子?」
どっちなんだと戸惑う妹子の耳に太子の笑い声が届いた。
しかしそれがすぐに引いたかと思うと、太子の澄んだ声が流れ込んできた。
「私は妹子が好きだ。世界で一番、お前が好きなんだ。もう…他の誰に何て言われようが関係ないんだよ。お前を失いたくない。そのためにも…ここにいてくれ。ここにいれば、私達はずっと一緒にいられるから」
それは息をすることも忘れそうなほどに研ぎ澄まされた声で、今までに見たどんな夢よりも果てしなく甘い言葉だった。
あまりの衝撃に、妹子は閉じていた目を、ゆっくりと開いた。
「本当…ですか……?」
太子の、いつになく真剣な眼差しとぶつかった。
太子は微かに微笑んで頷いた。
「ん、本当。私の言うことは信じろ」
「………!」
救われた。
自分をこの建物に滞在させようとする意図は分からないけれど、太子が言うなら何だっていい。
妹子は弾かれたように太子に抱きつくと、その腕に抱き返されながら誓った。
「分かりました、太子。僕は貴方の言うことしか信じません…!僕、ここでずっと貴方の帰りだけを待ってますから…っ!」
太子はくすぐったそうに笑った後で、妹子の髪を何度か撫でてくれた。
「ああ、いい子だぞ、妹子」
去っていく太子を見送った後、妹子はようやくその建物の中に足を踏み入れた。
「………」
木造のその中に入ると、妹子はその部屋に妙な既視感を覚えた。
何処かで見たことがある。
ずっと感じているこの嫌な感じと、何か関係があるのだろうか。
妹子は部屋の中をゆっくり進みつつ辺りを見回した。
物の少ない部屋。
机、寝台、………衝立。
「!?」
見覚えがある衝立だ、と思った瞬間、妹子は頭を強く殴られたような衝撃に襲われた。
「……っ!」
急にフラフラして、妹子は頭を押さえながら踏みとどまる。
「………今、のは?」
分からない。
今、衝立の向こうに何かを見た気がするのに。
「………」
妹子は頭にやっていた手を下ろすと、その衝立を睨みながらそろりと足を進めた。
緊張に息を詰めて、徐々に衝立に近付いていく。
「ッ!」
思い切って衝立の向こうに目をやった妹子は、そこにあるただの床に、大きな息を吐いた。
「………気のせい、だよな…」
妹子は胸を撫でながら適当な椅子に座って目を閉じた。
――嗚呼、次に太子に会えるのは、いつだろう。
それからどれぐらいの時間が過ぎただろうか。
部屋に来客があり、顔も見たことがないその役人は妹子の昼食を置いて行った。
妹子は何の反応も示さずにただその様子を眺め、男が去っても昼食に手を付けなかった。
「…空いてない」
寝台に座って膝を抱える。
赤いジャージの膝に顔を埋め、妹子はひたすら静かにそこにいた。
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