恋愛狂騒

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「小野、イナフ」


イナフ、というのはよく分からなかったけど、あの目は確実に僕に敵意を持っている目で。

澄んだ双眼で射抜かれ、僕の身体はズンと重くなって…。


「……僕は…嫌われてる……」


冷や汗の浮かぶ額に手を当てながら、僕は朝の布団から出た。





10・安堵





嫌われてる。

嫌われてる。


その言葉が行き来する重い頭でフラフラと出勤する。

寝坊してしまったために昼からの出勤となり、同僚と目を合わせるのがツラい。

今まで遅刻なんて ほとんど無かったのに……。

僕は嫌われてる……。


息苦しさすら感じる。


ぼおっとしながら仕事部屋に入ろうとしたとき、後ろから声がかかった。


「妹子殿」

「…馬子様?」


僕が振り向くと、馬子様は僕の顔を見て目を見開いたようだった。


「顔色が優れないようだが、大丈夫なのかね」

「ええ…大丈夫です」


「太子ですか?」と訊くと頷きが返る。

僕の身体が少しだけ軽くなった気がした。





「太子、おはようございます……太子?」


部屋に行くと、太子は仕事机に項垂れてグッタリしていた。

あのアホで元気な太子がだ。


「え……太子?ちょっと、どうしたんですか?太子!」


慌てて揺さぶると、意識はあるらしい太子が「あーー」と呻いた。


「妹子か……おはよう」

「おはようじゃありませんよ!一体何があったんです!」

「何がって…仕事だよ。溜まってた仕事、何故か明日の分まで全部やるはめに…」


なんでまたそんなはめに。

しかも、摂政に回ってくる仕事なんて一日でも結構な量なのに、今まで溜めに溜めてた分と更に今日と明日の分もやろうものなら…。


(この太子の疲れようは大袈裟とかじゃないな…分相応だ)


「仕事しろとは言ってますけど、なんで急にこんな無茶をしたんですか…」

「なんでって、お前に会うためだろうが」

「…は?」


当然のように言った太子が、僕の困惑の目を見て僕以上に困惑し始めた。


「え……え!?だって馬子さんが言ってたぞ!?今まで溜めてた分と明日の分まで仕事を終わらせるぐらいの気合いを見せないと会ってやらないって妹子が言ってたって…」


つまり、寝坊で不在の僕のことを知った馬子様が、太子に正しい理由を隠して、「妹子が来ないのは太子が仕事をしないせいだ」と意地悪をしたのだろう。

そして太子はそれを信じてしなくていい仕事までやった、と。


馬子様。

太子をあまり好いていないのは分かってたけど、あまりにも……。

気の毒だと思う感情と、僕がそんな酷いことを言ったと誤解されたままでは嫌だと思う感情がせめぎ合い、僕の顔が引きつった。


「…そんな事…言ってませんよ……。僕が今まで来なかったのは、僕が寝坊したからです…」







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