恋愛狂騒

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もしも近くで聞いていたなら耳をつんざかれていただろうほどの悲鳴が聞こえて、妹子は上官に届ける手筈である書簡を抱えたままふと振り返った。





*恋愛狂騒*





朝廷内の長閑な昼下がり。

柔らかな晴れ間に小鳥の囀りが響いている。


小野族出身にして、朝廷において五位の冠を許された青年、小野妹子は、声が聞こえた方角を見つめていた。

息を殺して耳を澄ませてみると、確かに何処からか女性の苦しみ呻く声が聞こえる。


……病だろうか。


だとしたらもう手遅れだろう。

それほど酷い声だと妹子は思った。

老翁のように枯れ、老婆のように裏返るその醜い叫び声からは、美しかったであろう彼女の本来の声が分からない。


「……あ、こんな事をしてる場合じゃないのに…」


早く書簡を届けなくては、上から要らぬ小言を聞かされる。

朝廷の静けさに混じる小さな悲鳴を無視するように、妹子は踵を返して歩き始めた。





第一章【恋の起こり】



1・革命





「遅くなってしまって すみません…。書簡を持って参りました」


部屋に入り、上官に挨拶すると男は小さく頷いた。

妹子は両手に抱えたまま書簡の山を崩さないように慎重に机上に乗せながら ちらりと男を見遣る。

すると、運の悪いことにバッチリと目が合ってしまった。


(うわっ)


慌てて目を伏せるも既に遅く、上官は「小野、だったか」と名前を思い出してしまった。


それからは長かった。

仕事や己の自慢話など面倒臭い話を長々と聞かされ、書簡を届けるだけなのに小一時間を要し、そして「戻ってくるのが遅い」と更に別の上官に怒られてしまった。


昼になり、役人達が昼の休憩に入る。

妹子は特に腹も空かなかったので、ぼんやりと朝廷の庭を歩いて回った。


(……死んでるみたいだ)


真昼なのに、なんだか自分が朝廷内をさ迷う幽霊になった気分になった。

毎日がただ無感情に過ぎていく。


(いけない……このままじゃ、駄目だ)


今の自分にはこの柔らかな春の日差しすら厳しくて、妹子は思わず額に手を翳した。



上官絡みの不幸の連続のせいで忘れていたことを、ふと思い出した。

妹子は今、先程立ち止まった廊下の近くにいた。


(声が、もう聞こえない……)


あの女性の悲鳴だ。


助かったのだろうか。

はたまた、逝ってしまったのだろうか。


もしも死んでしまっていたとしたら?

妹子は忙しさにかまけてあの声を無視してしまったことを今更ながらに後悔した。


(あの声、何処から聞こえてたんだろう……)


声の遠さからして屋内であることは確かで、しかもそれなりに遠い距離にあるようだった。
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