BOOK_EINBRECHER

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14・泥棒、デートする。





休みの日の朝、あさきはいつも以上に早く起きていた。


(今日は善法寺委員長とお出かけだ、めちゃくちゃ緊張する…!)


昨日は楽しみ過ぎてなかなか寝付けなかったというのに、朝になればすっかり目が冴えて布団から飛び起きた。

衝立の向こうで寝ているタカ丸を起こさないように、音は立てないようにして私服に着替える。


(へ、変じゃないかな…)


姿見の前で何度も確認していると、障子戸の外でようやく陽が昇り、タカ丸が目を覚まして眠そうな声を漏らした。


「んんー?あさきちゃん、もう起きてるの?おはよ〜」

「あっ、おはようございます、タカ丸さん。ちょっとお願いがあるんですけど…!」

「んー?」


あさきは櫛を掴んでタカ丸の布団のそばに行き、膝をついた。


「髪、結ってもらえませんか…!?」
















タカ丸に丁寧に髪を結ってもらったあさきは、部屋を出てそのまま校門の方へ向かった。


(予想以上に遅くなったな……。タカ丸さん、なかなか離してくれないから)


タカ丸が楽しそうに「うわーあさきちゃんの髪結うの初めてだよー!」なんて色々挑戦し始めるものだから、「普通に結って下さい!」と説得するのが大変だった。

けれど最後には自分で結った時の数倍綺麗にしてもらえたので、流石は元髪結いだ。

折角の髪や服が乱れないように気をつけながら校門まで走って行くと、丁度後ろ姿の伊作が事務員の小松田と話をしているのが見えた。

いつもの深緑の忍装束ではなく、明るい色の私服の後ろ姿にドキッとした。

あさきの足音に気付いたのか、伊作が振り返り、にっこりと笑いかけてくれた。

正面から見るとますますかっこいい、なんて、全速力で走っているわけでもないのに顔が熱くなった。


「委員長、おはようございます!遅くなってしまってすみません」


伊作のそばで急ブレーキをかけて、息を切らしながらもそこまで言えば、伊作よりも先に小松田が反応して口を開いた。


「あー、あさきくんおはよ!私服を見るの久しぶりだね、初めてここに来た時以来じゃない?」


バインダーを手に笑いかけてくれる小松田に呼吸を整えながら笑顔を返す。


「あ、そう言えばそうですね…。小松田さんもおはようございます」


外出する機会があまりないせいか、小松田とはなかなか会うことがない。

学園内で時々姿を見かけても、入門票を手に誰かを追いかけていたり、吉田先生に怒られていたり、忙しそうに仕事をしていたり、取り込み中らしいことが多いのだ。

久々に間近で見る小松田の姿をじっくり拝み、それから伊作を見れば、私服という新鮮な姿で眩しいくらいの笑顔を向けられた。


「おはよう、あさき。僕はあさきの私服って初めて見るなぁ」

「そうですね、俺も委員長の私服は初めて見ます。その……似合ってますね」


こういう話には慣れていないため、四苦八苦しながら褒めたあさきに、伊作はいつも通りの態度で「ありがとう、あさきも似合ってるよ」なんてサラリと返してくれた。

その間、ずっと自分の私服姿を眺める伊作の何気ない視線にも落ち着くことが出来ず、「ありがとうございます」の言葉も非常に小さく、上擦った声になってしまった。


(まだ学園も出てないのにもうこんな調子って……)


まともに挨拶も交わせない自分が情けなく思え、自然と苦い笑みが浮かんだ。


「じゃあ小松田さん、そろそろ出発します」

「ああ、それなら出門票にサインをよろしくね!」


小松田が差し出したバインダーを伊作が受け取り、サラサラと名前を書いた。

字を書いているだけなのにその姿がやけに様になっていて、ぼけっと見惚れているうちにバインダーが回ってきた。


「はい、あさき」

「は、はいっ!」


ついに出発するんだ、という実感が湧いてきて、どうにも緊張してしまって筆の先が落ち着かない。

“善法寺伊作”の立派な字の並びを見て、それだけでもまた緊張してしまいながら、なんとか“あさき”と書き付けた。

震えまくりの情けない字になってしまった、と思いながら出門票を返すと、小松田がそれを確認するように覗き込んだ。


「あさきくんって本当に名前だけなんだねぇ。苗字がないと不便じゃない?」

「え」


ギク、と効果音が聞こえてきそうなほど動揺してしまった。


「あ、そ、それは」


元泥棒だった云々ののっぴきならない理由がありまして、なんて言えたものじゃない。

曖昧に笑って誤魔化そうとしたが、こんなことでは伊作にまで自分の身元を疑われかねないような気がする。

あさきがハッとしてそちらを見れば、伊作も理由が気になっているのか、何処か落ち着かない様子でこちらを見ていた。


「あさき、苗字ないの?名乗らないとかじゃなくて…」

「えっと……その、色々ありまして」


色々。

そう言うと、伊作は期待していた通りに“これ以上突っ込まない方がいい”といった表情で諦めてくれた。


(本当は委員長に不審がられるようなことはしたくないんだけどなぁ…)


まさに“とほほ”といった感じで溜め息を吐いていると、小松田が「そうだ!」と手を打った。


「ここで名乗る苗字がないなら作ればいいんじゃない?苗字もあった方が何かと便利だよー」

「苗字をつくる?」

「うん、例えば小松田あさきとかねぇ?」


小松田はサラッとそう言って「まあこの学園にいない苗字を付けなきゃ意味無いんだけど」と笑った。


(小松田あさきじゃ、私と小松田さんが結婚したみたいだな…)


男で通っているあさきにそんなことは有り得ないのだが、それでもそんなことをぼんやり考えた。


「あさき」

「あっ、はい、委員長」

「そろそろ行こうか」


にこりと微笑んで言った伊作に頷くと、小松田も「あ、気を付けて行ってらっしゃ〜い」とのんびりと手を振った。

そんな小松田に会釈をしつつ、ドキドキの心境で校門をくぐり、伊作について外に出た。

まだ昇ったばかりの朝陽の光が優しく、少しひんやりとした空気が気持ちいい時間帯だ。

塀に囲まれていない解放的な空間が懐かしく、思わず深呼吸した。


「……ねえあさき、」

「あ、はい!何ですか?」

「苗字、つくるの?」


あさきの少しだけ前を歩きながら訊く伊作。

何故そんなことをまだ気にしているのだろうか。


「どうでしょう……今のところは不便がありませんが、もし苗字が必要になってきたら考えるかも知れません」

「そっか……さっき小松田さんが言ってた“小松田あさき”だけど、あれ、どう思う?」


どうやら伊作も小松田の“小松田あさき”には驚いていたようで、やっぱりそうか、と思ってあさきは笑った。


「俺と小松田さんが結婚でもしちゃったみたいになるなって思ってました。小松田さんは何も考えずにあんなことを言ったんだと思いますけどね」


なんだかのんびりとした能天気な人だし、そもそも小松田もあさきを男と思っているのだから、特に深くは考えていなかったのだろう。


「まあ、“小松田あさき”でも悪くない響きだと思います」


改めて頭の中で何度も反芻してみながら笑うと、伊作も同じように考えるような仕草をした。


「うーん……そっか」


伊作はまた一瞬だけ考え事をしたようで、歩きながら控えめに笑ってあさきを見た。


「だったら、“善法寺あさき”とかは…?」

「……はい?」


あさきが思わず歩みを止めて訊き返した。

よく聞こえなかった。

というか、随分はっきりとした幻聴を聞いたような気がする。


「委員長、今……ぜ、ぜん…」

「あ、いや、やっぱり気にしないで!何でもない!」

「今、“善法寺あさき”って……」


伊作は突然ブンブンと手を振り、更にはわーわーと慌てたように小さく喚きながら物凄い速度で歩き始めた。

あさきもその数歩後ろを何とかついていっているのだが、歩いているのは無意識で、頭では全く別のことでいっぱいだ。


(善法寺あさきって……)


伊作があさきを娶る、ということだろうか。


(う、うわ、何それ、うわ、うわああぁ)


羞恥に耐えきれなくなった絶叫が頭の中に響き渡るようだった。

考えただけで嬉しくて恥ずかしくてたまらなくなる。


(うわああああぁぁ!)


そのせいであさきまで速歩きになり、結局は伊作のペースについていけるようになっている。

二人揃って速歩きだ。


「あさき、本当にごめん!ただ何となく言ってみただけなんだけど…!」

「い、いいえ!俺こそすみません!こんなのただのお話のネタなのに、真に受けてしまって…!」

「……だ、だよねぇ!小松田さんだって例えであんな事を言ったんだし!実際には学園にはいない苗字にしないと意味がないって言ってたし、あははは…!」

「そうですよ委員長、あは、あはは…!」


二人の歩くスピードが緩まったのは、ひとしきりわざとらしく笑い終わってからのことだった。















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