BOOK_EINBRECHER
□11
1ページ/3ページ
11・泥棒、ずぶ濡れる。
秋頃のある日のこと。
まだまだ授業についていくことが出来ず、試験範囲の内容もよく理解できずに不安に思っていた試験がようやく終わった。
自分一人では勉強ができないと判断したため、成り行きで先輩の文次郎に教えてもらうことになったが、その途中で何故か伊作が現れ、代わりにあさきに勉強を教えてくれることになった。
伊作自身にも試験が迫っていたため、それを邪魔してしまうのは悪いと思っていたのが、伊作自ら“僕だって教えられる”と名乗り出てくれたのだ。
文次郎からは問題の答えを間違えようものなら殺さんばかりの威圧的な何かを感じたし、彼と同室の仙蔵が後ろから覗いてきては横槍を入れてくるのも怖かった。
そんな恐ろしい六年い組に挟まれての試験勉強は、正直ちっとも身が入らなかった。
だから同じく試験勉強中だった伊作には悪いが、彼が自ら勉強を教えに来てくれたことに関して、あさきは心から良かったと思っていた。
伊作は文次郎達の部屋からあさきを連れ出すと、“善法寺伊作”と“食満留三郎”の文字が並んだ木札のある部屋まで慣れたように歩いていった。
伊作の後に続いて部屋に入ってみると、忍たまの友と睨めっこしている留三郎が座っていた。
ここで試験勉強をするのは食満先輩に悪いんじゃあ、と思ったが、伊作が苦笑しながら両手を合わせて詫びると、留三郎は全く気にしていないかのように笑って許してくれたのだった。
「ごめんね留三郎。じゃああさき、ここに座って」
言われたとおりに座りながら、食満先輩は最初から自分が来ることを知ってたんだな、と何となく考えた。
「それじゃあ早速始めるけど……例えば、ここは文次郎からもう習った?」
「いえ…」
「そっか、ここは結構重要だから、じゃあここから説明するね」
「はい、お願いします!」
あさきがぺこっと頭を下げると、伊作はにっこり笑ってから丁寧に説明をしてくれた。
一通り説明してから、
「じゃああさき、さっきの復習だけど、この仕掛け罠のことを何て言う?」
指されたそれは、先程文次郎にも訊かれたところだ。
あの時から頭の中に、答えはこれじゃないか、なんていう答えはぼんやりと出ていたのだが、もし間違えたらと思うとなかなか言い出せなかった。
それなら今度こそはしっかり答えよう、と意気込んだのだが、大きく息を吸ったところで、後ろからの視線に気が付いた。
あさきが振り返れば、机に肘をついたまま、忍たまの友からこっちに視線を向けている留三郎と目が合った。
(うっ)
留三郎独特の鋭い目つきから放たれる視線に萎縮してしまう。
慌てて目を逸らして前を向き直したが、すっかり体が竦み、俯くしかなくなってしまった。
(間違えたりしたら、食満先輩も私のこと何か言うのかな…)
仙蔵は“そんなことでは作法委員には入れてやれん”なんて、こっちから願い下げと言いたくなるようなことも言っていたが。
(あの時は潮江先輩と立花先輩しかいなかったからいいけど、ここには善法寺委員長がいるしな…)
あさきがちらりと上を見遣れば、にこにこと笑みを湛えたまま答えを待っている伊作がいる。
流石に彼の前で馬鹿にされて恥をかくようなことはしたくない。
「……あさき、問題、難しかった?」
「あ、いいえ!そんなことは…!」
遠慮がちに訊いてくれる伊作にあさきが慌てて否定すると、伊作はこちらを見る視線をそのまま留三郎に向けた。
「留三郎のことは気にしなくていいよ?土偶か何かだと思ってくれればいいから」
「どっ」
「どぐ…ッ!?」
あさきと留三郎、二人して声を上げてしまった。
「もし留三郎が勉強の邪魔をしてきたら、明日のお茶に軽く三日は目覚めない睡眠薬でも仕込んでおくから」
「おい、伊作!」
「あはは、ごめんごめん!冗談だって留さん」
そのやりとりにすっかり緊張感を持っていかれてしまった。
あはは、と笑ってからもう一度答えを訊いてきた伊作に、あさきは茫然としながら答えた。
すると留三郎が落ち着いたように息をついて自分の机に戻り、伊作は明るく「よく分かったね!」と笑ってくれた。
「正解だよ、あさき。じゃあこの罠の解除方法は分かる?」
「えっと……」
まだまだ習いたての身としては、言葉だけで説明するのは難しい内容だった。
意味がないと分かりつつも、つい身振り手振りを交えながら何とか答えると、伊作はまたしても「正解!」と言ってくれた。
こちらまでホッと安心してしまうような温かい笑顔で頭を撫でてくれて、
「よく出来たね、あさき」
なんて言われると、試験勉強中なのに顔が熱くなって、小さく「…はい」と頷くしかなかった。
あの山小屋で伊作と出逢ってから数か月前。
薄汚い泥棒である自分に優しく接してくれた命の恩人が彼だ。
最初は名前も知らなかったのに、今はこんなにも彼の近くにいて、勉強を教えてもらったり、頭を撫でてもらったりなんかしている。
頭にある温かい手の感触が嬉しくて、思わずにやけてしまったような気がしたが、それでも伊作はますます優しく笑ってくれているようだった。
_