BOOK_EINBRECHER

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09・泥棒、忠誠を誓う。





昼間の保健室。

伊作が分厚い本を手に、人差し指をピンと立てて明るく微笑んだ。


「それじゃあ薬草学・薬学の授業を始めるよ!あさき、準備はいいかい?」

「は、はい!よろしくお願いします…!」


あさきが紙と筆をきっちり用意して挨拶をすると、伊作も満足げに頷いた。


あさきが薬草や薬について一人で勉強し、根を詰め過ぎて熱を出してから数日。

あさきはすっかり熱が下がっているし、伊作の傷もだいぶ良くなっているらしかった。

この前あさきが伊作に傷の加減を訊くと、傷口もすっかり塞がったと言って笑ってくれたのだ。

いつも留三郎や新野先生が交換しているらしい、背中の包帯が取れるのも時間の問題だろう。


そんなわけで、熱の一件で伊作の弟子になったあさきは、今日伊作に勉強を教わることになったのだ。


傷の痛みも無くなったらしい伊作がスッと立ち上がった。


「さて、じゃあまずはこの保健室にどんな薬が置いてあるか見てみようか」


薬箪笥の方に歩いていく伊作の後に、あさきも立ち上がって慌ててついていく。

そうすれば、伊作のすぐ後ろについているせいか、目の前にある伊作の髪の匂いがふわりと香った。


「あ、」


シャンプーのいい匂いに混じる、薬の匂い。

二つが混じり合って、今までに嗅いだ事のない不思議な匂いに仕上がっていたが、それが伊作のものだと思うとドキドキしてしまう。

いつまでも嗅いでいたいと思うような、落ち着いた匂いだった。


(へ、変態みたいだなぁ、私)


伊作の匂いにしばしどぎまぎしていると、急に伊作が振り返って我に返ることとなった。

伊作が薬箪笥の引き出しを一つ開けている。

これから箪笥の中にある薬草や薬について、一つ一つ教わっていくのだろう。

あさきは気合いを入れて筆を握り直した。


「まずはここに入ってる薬だけど、これは――」


その時、あさきと伊作の後ろで突然保健室の戸が勢いよく開いた。

ほとんど蹴破るかのような勢いだった。


「いさっくーん!!三之助が怪我したーー!!」

「!?」


バァンという戸の音以上に大きな声を張り上げて、深緑色の忍装束の青年――七松小平太が小脇に何かを抱えて突っ込んできた。

あさきが目を見開いているうちに、小平太はこちらに突っ込む前に急ブレーキをかけ、慣性の法則に従ってその小脇から何かが飛び出した。

目を凝らして見れば、緑の忍装束を着た少年だった。

その少年が吹っ飛び、あさきのすぐ隣にいる伊作の懐へ突っ込む。


「ぶッ!?」


伊作は少年ごと箪笥にぶつかり、その衝撃で箪笥がバランスを崩して倒れてきた。


「編入生危ない!」


小平太が叫んであさきの腕を無理矢理掴み、力強く引っ張る。

あさきが箪笥の影から出ると同時に箪笥が倒れ、伊作にぶつかった反動で飛んでいった少年も除き、伊作だけがその下敷きになってしまった。


「いいいい委員長――――!!?」


あさきは筆を放り出して小平太の腕を解き、慌てて箪笥を起こしにかかる。


「大丈夫ですか!?委員長!委員長―ッ!!」


保健室の壁の一郭を覆い隠すほど大きな薬箪笥だ。

上等そうなので、重みもきっと相当ある。

自分の大切な委員長がその下敷きになってしまったのだから、混乱もする。


「おぉー、つい力加減を間違ってしまったな!すまんすまん!」


小平太は頭を掻きながら笑っているが、笑いごとではない。

視界の端でのそのそと起き上がっている三年生を余所に、小平太が薬箪笥に手をかけた。


「いや〜すまないいさっくん!よいしょっと」


小平太が軽い掛け声と共に腕に力を込めると、箪笥はあっさりと起き上がった。

下には、箪笥から飛び出した引き出しとその中身が散乱している。


「委員長!」


小平太が箪笥を立てている間に伊作に駆け寄れば、伊作は薬草と薬まみれになりながら頭を押さえていた。


「いったぁ〜…」


強かに頭を打ち付けてしまったらしく、涙目だ。

あさきは慌てて、けれど優しくそうっと伊作の頭を撫でた。


「背中は打ってないですか!?」

「せ、背中も…」


頭と同時に、背中も撫でることにした。

そして、伊作を撫でながら災厄の張本人である小平太を見上げる。

箪笥を立て直した小平太は、相変わらず悪びれた様子も無く笑っていた。


「……っ」


伊作がこんなに痛い目に遭っているのに、大して反省していない小平太。

伊作以外の六年生が怖いあさきでも、苛立たずにはいられなかった。


「七松先輩!危ないじゃないですか!」

「すまんな編入生!咄嗟のことだったからお前しか助けられなかった!」

「助けて下さったのはっ…ありがとうございます。でも、助ける云々の前に、まず箪笥を倒さないで下さい!」


そう言っても、小平太は「すまんすまん」と謝るばかりだった。

あさきが怒ったところで全く気にしていない。

あさきが顔を顰めていると、その下で伊作がようやくムクリと起き上がった。


「委員長、大丈夫ですか!?」

「あはは、大丈夫だよ。いつものことだし…」


いつもこんなことになっているのか。

下手をすれば大怪我をしかねないようなこんな大事件が最早日常茶飯事だなんて、編入生のあさきには理解できない。

絶句するしかなかった。

けれど伊作は何事もなかったかのように、「三年ろ組の次屋三之助が怪我をしたってー?」と、よろよろ起き上がって言った。


「また小平太が委員会で無茶させたんじゃない?もう、気を付けるようにっていつも言ってるじゃないかー!」


怒るところはそこなのか。

もっと他にも怒るべきところがあるだろうと言いたい。


「うーん、傷に結構泥が入り込んでるねえ…。入念に消毒した方がいいかも。…あさき、そこから消毒薬取ってもらえるかい?」

「は、はい!」


しかし伊作にそう言われれば、従わざるを得なかった。

こういうのを惚れた弱みというのだろう。





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