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四限目の終了を知らせるチャイムの音に気が付いて、宮田はボーっと眺めていた窓の外から時計に視線を移した。
「もうこんな時間か…」
白衣のポケットに突っ込んでいた両手を出し、今朝届いた薬品の箱へと手をかける。
ラベルを剥がして確認がてらそれを眺めたが、頭に入ってこない。
「………」
誰もいない保健室を見回し、ふるふると頭を振ってまた薬品を確認する作業に戻るが、どうも頭がすっきりしない。
「…どうかしてる」
小さく呟いたその時、保健室の扉をコンコンとノックする音が聞こえた。
宮田は返事することもなくただ扉に目を遣る。
ガラ、と扉を開けて入ってきたのは、
「失礼しまーす」
足の白い包帯が痛々しい女子生徒、荒井沙織と、その後に従うように入ってきた奥山いろはだった。
「こんにちは、包帯お願いします」
軽く頭を下げて挨拶する沙織を視界の端に入れ、返事代わりに「荒井さんか」と呟きながらも横目にいろはを見る。
長椅子に座り、ふざけてPTAがどうのと話す沙織の言葉にいろはが苦笑しながら隣に行く。
以前沙織が、いろはは親友だとか心の友だとか言っていたが、こうやって二人でよく一緒にいる辺り、本当に仲がいいらしい。
他に誰もいない保健室をチラチラと見回すいろはを視界に入れながらも、沙織の文句に適当に言葉を返す。
結局口を尖らせて足をサッと上げた沙織の包帯を解き、消毒を済ませていく。
「あ!いろは、次の授業の宿題やった?」
「やったよ?…まあ、分からないところがあるから飛ばし飛ばしに」
「だよねぇ〜!私も昨日の夜プリントと睨めっこしたけど、結局投げちゃった」
消毒の最中、二人が「難しいよねぇ」と笑い合う。
沙織は消毒にもだいぶ慣れたらしく、すぐに包帯の交換が済んだ。
「終わりましたよ」
余った包帯をパチンとハサミで切り取るなり沙織が立ち上がった。
「はぁー終わった!さあお昼ご飯よ!!」
「沙織、足、大丈夫だった?」
沙織に続いて立ち上がったいろはに、沙織が笑顔で返事をする。
そのまま保健室を出ていく二人の後姿を見て、いろはの背中を見つめ、宮田は顔を逸らすと包帯を救急箱に戻す。
そのうち扉の閉まる音が聞こえるだろうと思っていたら、予想に反し、いろはの「宮田さん」という遠慮がちな声が聞こえてきた。
意表を突かれたために何も言えないまま振り返ると、いろはが遠慮がちに微笑んだ………ように、宮田には見えた。
「………」
「えっと…今日はお母さんが少し出かけるみたいで、晩御飯が少し遅くなるそうです」
前までは、人間の笑顔なんてどれも同じだと思っていた。
確かに種類はあると思う。
たとえば、亡き母のあの、狂った慈愛に満ちた笑み。
あの美しい求導女の、人を惑わす不気味な笑み。
己が殺めた恋人の、穏やかでありながら心まで侵されそうな純真の笑み。
人の笑顔と言うものをあまり見たことがないので、すぐに思い出せるのがそれしかなかったが、確かに宮田は人の笑顔に色々な種類を見出していた。
けれど一人の人間がその顔で創り出す笑顔はいつまでもたったその一つだった。
母はいつだって狂っていたし、求導女はいつだって不気味で、恋人すら毎日毎日、悩みはないのかと思えるほどに朗らかだった。
(……違う、のか)
母や求導女に至っては本当にそうだったのかも知れないが、恋人は――美奈ぐらい普通の人間なら、違っていたのかも知れない。
ただ宮田が気が付かなかっただけで、本当は同じ笑顔の下に様々な色があったのかもしれない。
宮田がどんなに素っ気なくしても、病院がどんなに忙しくても、天気がどんなに悪くても、笑う時はいつだって同じ顔に見えていた。
それが、
(怯えてるのか)
いろはを見ると、何故かその笑顔の下の本心が分かった。
返事もなく、無言で振り向いてしまったからだろうか、いろはは宮田の機嫌が悪いと勘違いでもしているのか、何処か引き攣った笑みで宮田を見つめていた。
夕飯が遅くなると告げたその声も、沙織と話すときのそれよりも上擦っていて苦しそうだ。
そう思いながら了承の返事をすると、いろはは緊張を解かれたようにフッと目線を下にずらして「はい」と言った。
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