ボカロ日和
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都会の隅に位置する芭蕉宅。
晴れた昼下がりの和室に、筆を手に目を閉じる家主ののんびりした声が響いた。
「どうしてかー…分からないけど犬に吠えられたー……芭蕉!」
うん!と頷きながら力強く筆を滑らせていると、パソコンのディスプレイに正座した少年が顔を顰めた。
「…おかしいですね。僕の記憶メモリだと俳句とは五七五調でなければ始まらないんですが」
「プログラムに不具合でもあるんだろうか…」とわざとらしく首を傾げた生意気なボーカロイドに、芭蕉が筆を、墨が跳ばんばかりに振った。
「う、うるさい!素人がプロに口出しするなーー!」
「へえ…五七五も分からないのがプロですか。ハッ、それはそれは…俳句とは易い道ですね」
「ムキーーッ!!」
鼻で笑った曽良に、芭蕉は思わず筆を放り投げる。
「機械のくせに生意気すぎるんだよ君!このボーカロイド男…略してボカ男!」
「何がボカ男ですか、またつまらないことを。新種のウイルスぶち込まれたいんですか?」
「ヒヒィン!それは嫌!!」
曽良はスクッと立ち上がると、やれやれと首を振って溜め息を吐いた。
「全く…ボーカロイドの勉強はいつ始めるんですか?僕がインストールされて、もう3日と2時間36分54秒が経ってるんですよ?どれだけ待たせれば気が済むんですか」
そう、曽良の言う通り、芭蕉が曽良のマスターとなってから早三日が経っていた。
芭蕉は「ボーカロイドのことを勉強する」とは言ったものの、家の掃除をしてみたり訳の分からない俳句を詠んでみたりで、全く手を付ける気配がない。
「だってさ〜…」
芭蕉はショリショリ墨汁を作りながら情けない声で弁解する。
「勉強するって言っても、どうしたらいいのか全く分からないんだよ…?手の付けようがないよ…」
「同梱の説明書は?」
「読んだけど…よく分からないよ。難しい言葉がいっぱいで、サッパリ…」
弱々しい報告に、曽良は心底呆れたような溜め息を吐いた。
そしてくるりと踵を返すとデスクトップの端まで行って、インターネットのアイコンをコンコンとノックした。
性格は厳しい曽良だが、体が小さいので仕草だけはいちいち可愛い。
芭蕉が硯を置いて眺めていると、インターネット画面が立ち上がった。
「ガイドブックを買いますよ、芭蕉さん」
「ガイドブック?そんなのどうやって探すの…?」
曽良はやっぱり呆れたように、眉間の皺をまた少し深くした。
見ていると、曽良の手元に電光のキーボードが現れて、曽良はそれに向かってタイピングする。
インターネットの検索バーに何やら英字が現れたかと思うと画面が切り替わり、更なる検索バーにも何かを打ち込んでいく。
「は、はや…っ!曽良くんタイピング早男!」
「これぐらい普通です」
気付くと画面に、ボーカロイド関連のガイドブックが並んでいた。
「ネットで買いましょう。ボーカロイドも今や大人気商品なんで色々とガイドブックが出てるみたいですね」
「すごいね…。こっち?えーっと、こっち?…どれがいいんだろ…」
芭蕉がガイドブックの一覧を眺めてマウスカーソルをディスプレイにうろうろさせる。
上下左右、自信なさげにフラフラ動き回るマウスカーソルを鬱陶しそうに見ていた曽良が、見かねたように一覧の中の一冊をトントンと叩いた。
「え?ちょ…曽良くん?」
「選ぶのが遅いんですよ」
曽良はあっと言う間に手続きを済ませ、購入ボタンまで押してしまった。
「あぁ!ちょっと待って…曽良くんが買ったのって何気にすごい高いヤツじゃないか!」
「初心者の芭蕉さんのために選んであげたんですよ」
「このボカ男め…!!」
その間にも曽良はまたインターネット画面を操作する。
「曽良くん…今度は何してるの?」
「これで…良し、と」
「ちょッ!また何か勝手なことしてる!?」
芭蕉が慌ててマウスを掴んでカーソルをインターネット画面の×印に向かわせようとすると、その前に曽良が素早く動いた。
「勝手なのはお前だ!!」
「ぎゃああぁマウスカーソル蹴られた!!画面外に追放されちゃった!ていうか勝手なの絶対曽良くんだよね!?」
曽良が蹴り上げたマウスカーソルは画面上部へ飛ばされ、芭蕉が何回もマウスを下に動かすことでやっと画面に帰ってきた。
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