ボカロ日和

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【05・冥音閻魔】





「裁判?…そんな重要な書類を僕にですか?…ああ、でも…そうですね、分かりました。週末には片付くんじゃないかと…」


個人デスクで電話を耳に当て、握ったボールペンをサラサラと走らせていく。


「あッ、くそ!字ィ間違えた!……あ、すみません、はい、大丈夫です」


修正液を探して引出しを探る手。


『それじゃあ鬼男、あとは頼んだからな』

「はい、分かりましたよ」


溜息と共に電話を切る。

司法機関のさほど高くもない地位。

それでもこの就職難の中、若くしてこんな手堅い職に就けた事は充分幸運であると言える。

何かと順応性にも優れているおかげで数年のうちに仕事にも慣れ、目上の人間とも異様に親しくなって気にせずガンガン当たっていけるまでになっていて最早慣れだとかそういうレベルではない。

ひとえに鬼男の人間性。


「あー、また書類地獄か……字とか書くの得意じゃないって言うのに…」


学生時代は、机に向かっているよりも外でボールを追いかけていることの方が多かったと思う。

けれど大きくなるにつれて将来のことを考えるようになり、苦手な勉強も根性でやり通して。


「うっ……また間違えた。修正だらけの書類って言うのもな…」


仕方なく今までボールペンを走らせていた紙を取り上げてグシャグシャにし、ゴミ箱に捨てる。

伸ばした腕の袖に隠れていた腕時計に気が付く。


「うわっ、もうこんな時間か。出なきゃ…」


書類は保留にして荷物をまとめ、立ち上がる。

家で片付ける仕事の資料が入った鞄を抱えて職場を出ると、正門まで少し距離のある並木道。

まだ陽は傾きかけている程度だったが、今日の仕事はもう終わりだ。


(まあ、宿題みたいなもんがあるから終日働いてるような感じだけど)


その時、右手の並木から小さな物音が聞こえた。

何かが落ちたような音に、何気なくそっちを見遣った鬼男の視界に何かが飛び込んできた。


「………?」


陽光を反射してフィルムが光り、よく見えないが薄くて四角い箱が落ちている。

周りに人気はなく、鬼男はそれに近付いて拾い上げる。


「…ソフトか?」


鬼男は目を瞬いた。


「ナンバー05…冥音、閻魔。…エンマぁ?しかもコレ、ボーカロイドって…」


ボーカロイドなら知っている。

ネット界で有名で名前もよく目にするので、一度友人に聞いてみたところ、それは詳しく説明された。

そして何故かその際に動画サイトも勧められて、無料だからってアカウントまで取得させられてしまった。

気になった時に接続してはみるが、すぐに用事を思い出したり仕事が舞い込んだり、眠たくなったりして、10分も居座っていたことがない。


「ボーカロイドって……こんなのあったのか」


新しいシリーズだろうかと、感心するように呟く。


「ていうかコレ、今…木から落ちてきたのか?」


思わず見上げるが、この並木の木の枝はこんなものが引っ掛かるほど太くはない。

だとしたら空、しかし信じられるわけがない。


「デ●ノートかっつーの…」


同じところにずっと突っ立っているのも難なので、仕方なしにソフトを手に歩き出す。

パッケージにはデカデカとキャラクターが描かれているわけだが、改めて見ると変な格好だ。

やたら白い肌に(鬼男は生まれつき肌が浅黒いので少し羨ましく思ったりする)赤い瞳、上品に光る外跳ねの黒髪。

淡い赤、桃色にも見えるインカムを付け、頭には05のロゴの入った変わった形の帽子をかぶっている。

黒基調の着物の下にVネックのシャツを着て、下は白い長ズボン。


「珍妙だ……」


パーツの一つ一つには問題ないが組み合わせが謎だ。

しかしこういうキャラクターは得てしてみんなそんな感じなので、それを考えればまあ変ではなかった。


「……………」


実を言うと、音楽にあまり興味はない。

しかしこの現代で人気を博するボーカロイドというこのソフトに、それなりに興味がある。

一生手に取ることなどないと思って気にしなかったが、一度手に入ると好奇心が沸々と湧いてきた。


「…よし」


小さく頷くと、鬼男は自宅への道を急いだ。










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