SIRENSHORT
□引っ越し
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ここはとってもいい村だ。
素朴で平和で、外の人達は「閉鎖的で陰気だ」とか言うかも知れないが、私から見れば本当にいい村だ。
――数年前――
田舎の空気が吸いたくなったという両親が都会からの引っ越しを決めたのは突然のことだった。
家で何やらゴソゴソしている母親に「晩ご飯食べに行くわよー」なノリで、「いろはちゃん引っ越すわよー」と言われてしまった。
最初はびっくりしたが、何だかんだで大人しく従い、トラックから私物入りの段ボールを運び出している今の私がいる。
山だの森だのに囲まれた田舎なだけあって、自然に満ち溢れている。
トラックが村に到着したのは肌寒い朝のことで、道の脇に生えた木々の葉が、まだ弱い日差しのほとんどを遮っていた。
薄手の長袖を腕まくりにして重い段ボールを抱え、チラチラと村の様子を窺う。
そこらに並んでいる家々がこれからはウチのご近所さんになるわけだ。
ここに着いてすぐの頃はまだどの家も動き出していなかったが、起き出す時間になったのか、トラックのエンジン音が気になったのか、チラチラと家から出てきてこちらの様子を窺う村人の姿が見えるようになった。
引っ越してくる前のちょっとした情報として、この村の人々は余所者に厳しいという話を知っている。
集団心理だの儀礼的無関心だのが徹底的に蔓延した都会で育った私は、決して社交的な性格ではなく、どちらかと言えば出来るだけ他人との接触を避けてしまうタイプだ。
そんな私がこの村で上手くやっていけるだろうか。
この村で心地よく生活を送るためには、きっと今までの私ではいけないだろう。
これを機に、積極的な明るい人間にならなくては!
少し強めに決意してみると、何だかわりと出来るかも知れないという、何の根拠もない自信が湧いてきた。
さっきからお隣の門から、40〜50歳ぐらいの、所謂オバサンが顔を覗かせてジッとこちらの様子を窺っている。
くるくるというよりはチリチリに巻かれた短めの黒髪に、重なった細い皺に囲まれたきつい印象の目。
ツンと高くて細い鼻といい、不満そうに尖った唇といい、誰が見ても冷ややかな印象を受けそうな無愛想な顔だ。
さっきの私の決意は早くもフェードアウトしかけたが、強く気を持ち直し、私は段ボールを抱えたまま元気よく頭を下げて挨拶した。
すると、彼女は吊り上がった太い眉をグッと眉間に寄せ、沈黙したまま引っ込んでいった。
「………」
………心が折れました。
やはり長年都会で育って培われたこの性格は、いくら隠そうとしても何らかのオーラを出してしまうらしい。
「コミュニケーションとか嫌です」みたいなサインが目なり口なり顔色なりに出てしまったかもしれない。
一人で立ち止まっている私に気付いた父親に急かされ、ようやく段ボールを家に運び込もうとしたところで、さっきのお隣から「ガララ」と網戸の開く大きな音が聞こえた。
往生際悪くそちらを見れば、安物の突っかけが砂埃だらけのアスファルトを擦って走る音が聞こえ、さっきのオバサンが萎れたラップのはみ出したタッパーを持って飛び出してきた。
まるで会社に行く夫に忘れ物の弁当を届けに走るかのような雰囲気に何事かと思ったが、実はその両手の中のタッパーは、果たしてウチ宛てのご挨拶だったのだ。
少しポカンとしてから慌てて両手を出せば、すっかり持っていることを忘れていた段ボールが目に入り、オバサンは苦笑しながら何とかその上にタッパーを乗せてくれる。
タッパーが滑り落ちないように段ボールの下の両手をゴソゴソとしていると、それに気付いた母親が出てきてやっと挨拶らしい挨拶を代わりに済ませてくれた。
きつい顔立ちなりに明るい表情をしたオバサンが軽く手を振ってお隣に引っ込むと、早々に作業に戻った母親を余所に、私はボーッと突っ立ったまま吐息を震わせた。
(お隣さんいい人!すっごくいい人……!!)
最初こそは怖く見えるものの、話せばみんないい人なのかも知れない。
すぐそこを通りかかったオジサンがチラチラとこっちを見たりしてきたのも怖かったが、きっとあのオジサンも実はいい人なんだろう。
そうだ。
私が見方を変えればきっと世界が変わる。
電車で買い物袋の中身をぶちまけて困っているお婆さんを遠目に見つつ、私も助けに行こうか面倒見のよさそうなOLに任せておこうか迷いに迷って決意する前にお婆さんがOLに頭を下げていたという状況になって深く後悔したり、携帯や地図を手にフラフラキョロキョロとして明らかに道に迷っている男性に声をかけようかやめておこうかと自分までフラフラしていたら、交番にでも行こうと決めたらしい男性が勝手に何処かに行ってしまって、結局微妙にタイムロスしただけになってモヤモヤしたりする都会の病気とももうこれでおさらばだ!
私は張り切って引っ越し作業を再開した。
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