SIRENSHORT

□ärztliche
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それから何度も診察室に行っては注射を打つ日が続いた。

何回打っても痛くない。


すっかり注射に慣れて、注射の瞬間に目を閉じたり、目を逸らしたりするようなこともなくなった頃。

私は診察室ではなく、病室のベッドの上で注射を打たれるようになっていた。

なんでだろう、こんなに沢山注射を打って安静にしてるのに…。


私、うまく歩くことも出来なくなってしまった。


「先生、私の病気…もしかして、悪くなっていってるんですか?」


見舞いにきてくれる両親は何も言わない。

いつ退院できるんだろうと、そんな事を言う度に二人は目を伏せるのだ。


「先生」


黙って注射の準備をする先生を急かすように呼ぶと、先生は注射針を付けながら呟いた。


「……お前の命は、長くない」

「…どれくらいですか?」

「出来るだけ長生きできるように投薬を続けてはいるが…長くて秋まで、だな」

「秋まで…」


多分、私が「寒い」って言う事は二度とない。

「メリークリスマス」も、「明けましておめでとうございます」も、私はもう二度と言わない。

私の身体を蒸すこの夏が終わる頃、私も終わるんだ。

それまで、私はこの部屋で、ずっと…。


「怖いか?」


袖を捲った私の腕を消毒しながら様子を窺うように訊いてきた先生に、私は笑った。


「大丈夫、です」

「そうか」


先生が私の腕に注射針を当てる。

見慣れたその光景に、私の頭がグラグラと揺れた。


私はあと何回この腕に注射できるの?

この薬液の一滴は私の命を何秒伸ばすの?

こんな注射に意味はあるの?

先生、私は――


「ッ!!」


私が腕を引っ込めると、弾かれた注射器は先生の手を離れて床に落ちてしまった。


「嫌…ッ!私、私…まだ、死にたくない!」


なんで私なの?

この村にはお爺さんやお婆さんが沢山いるのに、なんで私はもう死ななきゃいけないの?

何度となく針を通した腕を庇いながら右腕を怒りに任せて先生に叩きつけると、その手首を捕まえられ、暴れられないように抱き込まれてしまった。

先生の白衣に染みついた薬品の匂いに涙が溢れる。


「っ…ひっく…怖い…です……」

「分かっている」

「せっ…先生…、私…まだ…っ!」


生きていたい。

もしこの病気が治ったら、幸江さんみたいな素敵な看護師に、とか、そんな事ももう叶わないなんて。

湧き上がる恐怖を抱えて先生に縋りつく。

先生の大きな手が私の髪を撫でた。


「………いろは」

「…え…」


先生の口から私の名前を聞いたのは初めてで、私は目を見開いて先生を見上げる。

山の向こうに落ちていくオレンジの陽に照らされた犀賀先生の低く掠れた声が、私の脳を支配した。

私は先生も注射も………死すら、怖くなくなってしまった。









真夏。

注射だけでは足りなくなった私は、ベッドに寝たきりの状態で、点滴で生き長らえていた。

私の死期が本格的に近付いている……だけど、怖くない。


「…先生」

「採血に来た」

「はい」


布団から腕を出して袖を捲る。

真夏だと言うのに、ずっと病室から出られない私の腕は真っ白だった。

注射が無くなったら、今度は採血が続いた。

私はぼんやりと天井を見つめて、採血の終わりを待っていた。


その時だ。


「ッ!?」


私はビクリと腕を震わせ、目を瞑って唇を噛んだ。

そうしなければ、突然腕に走った針の痛みに耐えられなかったからだ。

腕から針が抜けると同時に目を開けて先生を見た。


「…せ、先生?」

「痛かったか…すまない」

「いえ…」


先生が、何か考え事をしてる?


「先生…大丈夫ですか?」

「何がだ?」

「今日の先生、なんだか…」


初めての注射以来、感じることもなかった先生の威圧感。

なんでこんなに焦るんだろう…。

先生が何処かに行ってしまいそうな気がする。


「っ先生…」


針を刺された方とは違う腕で先生の白衣の袖を掴む。


「わ、私は…先生じゃないと、嫌です…」

「ああ…」

「先生が私を生かしてくれるんですよね?先生が私を殺してくれるんですよね?何も、怖くないように…っ!」

「そうだ」


私が泣いてしまったあの日、先生に言われた言葉を思い出す。





――俺が君を治療する…それでも君の病気は治らないだろう。

それは、俺が君を生かしているのだとも、俺が君を殺すのだとも言える。

お前の命の最期まで、俺がお前を生かして、殺してやる。





こんな俺で、すまない――





オレンジ色になった病室で先生は私にそう言った。

私が初めて見た先生の笑顔に似ていた。

けどそれよりもすごく辛そうな、自嘲的な笑顔だった。

どうしてだろう、あんなに怖かった死を、急に受け入れる気になってしまった。

先生が私を看取ってくれる。

先生にかかればどんなものだって怖くなくなるから、死ぬ時もきっと怖くない。


「先生…何処にも…どこ、に…行かないで………」


採血の後は眠くなる。

今日もそうだ。

重くなっていく瞼。

ベッドに落ちる私の身体を支えてゆっくりと横たえてくれる先生の腕。


「いろは、俺は……」


目を閉じてしまう一瞬、視界を先生の掌が覆って、唇に温かいモノが触れた。










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