Replica*Doll

□3.5
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「お…は…、…ぉ……は……よ、…う」

恐る恐る、喉を押さえながら震える声で話せて当たり前のことを言った。
でもそれが言えることが、青年には嬉しくて。
青年は、喉を押さえたまま、本当に嬉しそうに言った。

夕方の、オレンジ色の光が窓から差し込んで部屋を満たしていた。
ルークが一人呟くその部屋には、他には誰もいなかった。
ガイは、仕事だった。
今日も宮殿で働いているのだろう。
ルークは今朝も座りなれた椅子の上でガイを見送ってきたところだ。
黒くて線の細い美しい椅子。
ルークは、まだ上手く歩けなかった。
ルークの特等席は、いつもこの椅子かソファの上。
移動するときはガイの助けがなければ必ず転ぶ。
それ以前に上手く立つことすらできない。
今ルークが座っているベッドへは、ガイが今朝出掛けてしばらくしてから、一人で床を這いずるようにして移動したのだ。
人間として、その移動法は絶対におかしい、と思う。
早く歩けるようにならなきゃいけない。
部屋から出てはいけないというガイの忠告も守らなくてはいけないけれど、せめて部屋の扉まで、毎日宮殿へと出かけていくガイを見送ってあげたかった。
毎日部屋の窓から見下ろす街を行く人々は、その二本の足で堂々と歩くから。
道端で楽しそうに談笑していたりもする。
朝の挨拶の練習をやめてしばらく窓の外を見ていたルークは、ふとある家の玄関に目をやった。

「…………」

白くて綺麗な家の扉が開いた。
一人の男が開いた扉だ。
中からは女性が出てくる。
ルークみたいに這いずったりなんてことは間違っても無い。
勿論、二足歩行で。
女性は男性を微笑んで家に招き入れ――それと同時に、彼女の唇が短く動くのを見た。

――“おかえり”

そう、その言葉だと分かった瞬間に、きゅうっと胸が締め付けられるのを感じた。
空気の冷たい朝。
温かいベッドで目が覚めて、ガイの笑顔が視界いっぱいに広がって、

「おはよう、ルーク」

そう言われて、ルークは表情を硬くする。
言い返せない。
窓から見下ろす街の風景にいつも見る、挨拶のやりとり。

『おはよう、夕べはよく眠れた?』
『ああ、おはよう。昨日はとても面白い夢を見たんだ――』
『こんにちは、今日は何処かへおでかけ?』
『こんにちは。ええ、今日は少し知人を訪ねに』
『そうなの、気をつけていってらっしゃい』

「じゃあ行ってくるよ、ルーク」

部屋の扉のところで振り返って微笑むガイに、何も、言えない。
ルークが焦るように息を詰まらせるのを、ガイはゆっくり首を振って微笑む。
無理をしなくたっていいんだよ、ルーク。
よく分からなかったけれど、なんとなくガイは悲しそうだった。
それでもその微笑みは何処までもルークに優しくて、余計に、焦った。

「行ってきます」

そう言って出て行く背中に、叫びたかった。

――待っ、て。

俺、まだ何も言ってない。
言わなきゃいけないこと全部、まだ一度だってガイに言えたことがないんだ。

この椅子から立ち上がって走り出して、その背中に追いついて。

――いってらっしゃい、気をつけて。

もしそう言えたら、ガイはどんな気持ちでこの部屋を出ていくのだろう。
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