Replica*Doll

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ピッ、ピッ、と等しい間隔を開けて鳴る機械だとか、管に赤い液体を流して唸る機械だとか。
ヒソヒソと処置について相談する人の声だとかがひどく五月蝿いと思った。

眉間に皺を寄せながら目を開けると、白い天井やシーツ、自分のハニーブラウンの色をした長い髪が見えた。

ああ、死ななかったのかと他人事のように思った瞬間、右手がやけに痛いと思ってまた顔を顰めた。
見ると、誰かに握られている。
…腐れ縁のどうしようもない男だ。

「…はぁ…」

ジェイドは溜息を吐くと枕もとの眼鏡に手を伸ばしてかけ、ベッドに突っ伏して寝ているその背中を揺すった。

「…陛下、陛下」
「…んー…餌ならもうちょっと待ってくれ…ネフリー…」
「さっさと起きなさい!」
「いでッ!?」

バシッと背中を叩くとピオニーは飛び起きた。
そして届かないのに腕を伸ばして患部を擦ろうとしたところでようやくジェイドに気が付いた。

「…ジェイド…お前」
「…何ですか」

きっとこの男は知っているんだろう。
ジェイドが、自分で自分を刺したことを。
ピオニーの表情は弱々しくて、目の前でジェイドが瞬きしていることがまだ信じられないようだった。

「ジェイド…っ、お前…!」

伸びてきた腕にジェイドは抱き付かれるのを覚悟した――が。

――バキッ!!

「ッ…!」
「こんの、阿呆が!馬鹿眼鏡!どのツラ下げて『何ですか』と言いやがる!?」
「陛下…口が悪いですよ」

しかしピオニーは容赦なくもう一発ジェイドにお見舞いした。
上手くかわされてしまったのであまり効果は無かったが。

「消えるんじゃねえぞって言ったそばから馬鹿なことをしやがって!何考えてんだボケ眼鏡め!!」
「あの…陛下、血が出てきたんですが、鼻血が」

口の辺りを押さえるジェイドの手からは確かに血が滴っている。
途端に部屋のガラスの向こうが慌しくなったがジェイドは軽く手を振って諌めた。

「ほら、陛下。貴方のせいで医師達が慌てていますよ。どうせ出血多量で輸血の途中だったんでしょう?」
「お前はなんでそんなに冷静なんだ!くそっ、俺ばっかりがこんなに怒ってて…!」
「…陛下、なんで私は生きてるんでしょうか」
「…執務室で倒れてるのをアスランが見つけた」

ピオニーは渋った顔をしたままボソリと答え、ジェイドが溜息交じりに眼鏡を上げる。

「彼も嫌なことをしますね…空気を読まないと言うか、タイミングが悪いと言うか…」

あの一刺しは一体何だったのだろう。
衝動的に構えた槍は何のために自分を刺したのか。

自分を責めるため?
罪から逃れるため?
解らない、解らないけれど、そうすることで自分を罰し、そして楽になれる気がした。
苦しみの中でもがいたら後はそうするしか道がなかったから。

「…何故」

項垂れると髪が垂れ、丁度回りの視界を遮ってくれる。
ジェイドは親友から顔を逸らしてシーツを見つめる。
その下の身体には幾重にも包帯が巻かれている。

「何故、放っておいてくれなかったんですか」
「ジェイド――」
「本当はずっと、こうしたかったのかも知れません。…魔物と戦っても、人と戦っても、何を目の前にしていても、手にした槍で刺したいのは誰でもなく自分だった。それを何となく悟っていた…そしてそれがやっと理解できた」

複雑な愛、怨念だとかの絡み合い。
誰が悪いのかなんて一言で説明するのは難しすぎて、諸悪の根源はなかなか定まらない。
しかし自分がこの人生において大罪を犯したのは事実なのだから。
そして人は誰しも自分を可愛がるものだから。

「ずっと自分を罰したかった…そしてずっと自分を助けてやりたかった。ずっと自分を、殺したかった」

いつの間にか、泣いていた。

「死んで償う、か。法律でも認められているほどによくある話だな」

ピオニーの声が静かな病室に響く。

「お前のその罪って言うのは、死ななきゃ償えないものなのか?お前は死ななきゃ、楽になれないか?」
「………」
「…まあ、実際に刺したんだからそれがお前の答えだよなぁ」

ピオニーは苦笑いを浮かべたが、力なく頭を振った。

「だったら世は自殺ブームだぞ、ジェイド。死んだモンが勝ちの人生なんてそれは生じゃないだろう」

ピオニーが腰から何かを取り出す…護身用の短刀だ。
ピオニーが突然そんな物を取り出したことに驚いて顔を上げたジェイドは、更にその目を見開く。

自分の首に短刀の刃を当てて、静かに笑っている一国の皇帝がいた。

「な…何をしているんです!!皇帝ともあろう者が冗談でもそんなことを…!早くそれを降ろして下さい!」
「人は死の前では誰も平等だ。違うか?」
「それとこれとはワケが違うでしょう!!」
「それに、お前はこれを選んだ。最高の贖罪にして最高の安楽。…な?」

ツッ、とナイフが皮膚を裂き、首を赤い血が伝う。

「陛下!!いい加減に――」
「お前、随分長い間寝込んでたんだ」

ピオニーはナイフを構えたまま呟く。

「アスランに知らせを受けた俺は、ずっとお前を見ていた。お前の寝顔を…初めて見たが、随分苦しそうに眠るんだな」

ピオニーは小さく笑ってジェイドを見据える。

「死ねば罪が償える。死ねば楽になれる。…それはお前の勘違いだぞ」
「…勘違い」
「そうだ。それは罪を償ったんじゃない、放棄したんだ。楽になったわけでもない。何も感じられなくしただけだ。死ってのは無だ。それが解らないか?お前がフォミクリーを封じたあの日、お前に死が理解できるようになった…とは思わなかった。後悔はしていても、未だに死の何たるかは知らないままなんだろうと思った。だから今、教えてやる。死は無だ」

ピオニーの声は何か物語りでもするように、静かだった。

「お前の意識が戻らない間、俺はずっと待っていた…時間にして半日ほどだ、たったのな」

ナイフがカランと床に落ち、気付くとジェイドは肩をグッと掴まれ、引っ張られていた。
ピオニーの険しい表情が目に入る。

「それが俺にとってどれだけ長かったか…どれほど長く感じられたか…俺は消えるなと言ったはずだ!死は無だ。でもそんな事は今はどうだっていい。例え死に何か意味があったのだとしても俺はお前の死を許さない!!」
「…陛下、」
「いいか、お前は俺の懐刀だ。そして親友、幼馴染、腐れ縁、そんでもって部下だ。お前の死が俺にどれほどの影響を与えるか…俺がどれほど苦しむのか、分かれよ!!」
「…解り、ませんよ…」
「解ってるはずだ!解らなきゃお前は自殺なんてしなかった!お前…本当は知ってるんだろ…?ルークやガイを失ったこと、それが悲しくて、自分の罪が重くて辛くて逃げたかったんだろう…?」
「………」

ジェイドが目を見開き、ピオニーがまた口を開く。

「お前が…死ぬんじゃないかと…ずっと、怖かったんだからな…」

項垂れたピオニーの声が、乾いた地面を少しずつ潤していくように心に響く。

「お前のその命はそんな簡単に棄てられていいものじゃない…お前は解ってない…お前が俺にとってどれほど大切か、少しもわかってない…!!」
「…陛下、」

ピオニーはあの夜のようにまた泣いているのだと思った。
あの日と同じように俯いているから。

ピオニーの腕がジェイドの胸元から肩、首へと回って、ぎゅっと抱き締められる。

それは懇願のような拘束だった。

なおも強く抱き締めてくる両腕に、何故だか昔のことが色々と思い出された。
ピオニーがケテルブルクに軟禁されていた頃。
雪の中を元気に走り回ってはサフィールをからかったりネフリーと話をしたり、そしてジェイドの元へ「遊ぼうぜ」と走ってきたり。
勉強ばかりしていたジェイドには鬱陶しい誘いだったが、仕方なしに付き合うことになるとピオニーは楽しそうに笑っていた。
いつも、いつも、何がそんなに楽しいのかと思うほどに笑っていた。
この寒いのに外に出て、興味が無さそうにしているジェイドの横でピオニーは鼻や頬を赤くして笑っていた。
ピオニーは昔から寒いのが人より苦手で、寒いところにいるとすぐに身体が冷える。
ふと触れたジェイドの手のあまりの温かさにびっくりして、それからは嬉しそうにずっとジェイドの手で暖を取っていたことがあった。

今もそうだ。
寒さこそ無いものの、ピオニーよりもジェイドの方が体温が高い。
ジェイドがピオニーの体温の低さを実感していると、それが通じたように、ピオニーが「温かい」と呟いた。

「お前は昔から温かかったよな…今も温かくて、良かった…」

嬉し泣きのような声で呟いたピオニーの声。
心から安心したようなその声に、ジェイドの身体が震えるのが分かった。

「冷たくなっていなくて…良かった…っ」
「…っ」

友情だとか、愛情だとか、分かっているようで自分には不似合いだと顔を背けてきたのに、今こんなにも欲しくなったことが嬉しかった。
自分にも勝てないものはあるんだと。
これからももっと何か、自分の中に育てていかなければならないものがある。
自分はまだこんなにも温かいから。

奪うことしか、壊すことしかなかった自分の腕が伸びて、親友の身体を抱き締める。

「私にはまだ…やるべきことがありましたね…自分の犯した罪を…見届けなくては…ガイを、探さなくては…」
「ジェイド…」

涙に濡れた眼で見つめてくるピオニーに、ジェイドは微笑んでみせる。

「そして何より…この寂しがりの皇帝のそばにいて差し上げなくては」
「………っ!」
「私はまだ消えません。貴方が私を呼ぶなら…いつでも貴方のおそばに」
「…ジェイド…っ」

初めて、ジェイドの“笑顔”というものを見た。
ジェイドの笑顔は、こんなにも優しくて温かいのだと、こんなにも胸を熱くさせてくれるものなのだと、初めて知った。





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