OTHERSHORT

□VOiCE
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曽良くん曽良くんと一心不乱に喚き続ける芭蕉の声を聞きつけた宿の夫婦が出てきて、気を失った曽良を中まで運んでくれた。

こんな山中で急遽医者を呼ばなければいけない、と大騒ぎになった。

「貴方はお弟子さんのそばにいてあげて下さい」と宿の人達に言われ、人を助けるような術は何一つ持ち合わせていない芭蕉は、言われた通りに曽良の布団の横に座っているしかなかった。

驚くほど白く冷たい曽良の手を握って、芭蕉はずっと座っていた。

朝も、昼も、夜も、その明くる朝も。

眠くなかった。

腹も空かなかった。

曽良が昏睡している長い長い時間は、芭蕉にとってはほんの少しの時間に思えた。





――気付いたら、曽良くんは、死んでいた。





気が付くと、医者と宿屋の夫婦がつらそうな顔でそこに座っていた。

医者が「誠に申し上げにくいのですが」と芭蕉を見て言った。


「曽良さんは、もう…お亡くなりに、なられました」


芭蕉は青白く細い曽良の手を握ったまま、何も答えなかった。





「…少し前まで、動いてたけど、死んじゃった…」


俳句の真白い紙を目の前に、芭蕉は気の抜けた声で呟いた。

………手刀が落ちてこない。


「………なんで?」


曽良くん、なんで怒らないの?


宿屋の縁側に一人で座り込んだ芭蕉は紙を下ろして呆然とした。


――なんで何も言いに来ないの?

私、すっごく駄目な句を詠んでると思うんだけどなぁ。

ほら、五七五でもないじゃない。

季語も入ってないよ?

ねえ、怒るでしょ?


「なんで…。…曽良くん、ねえ、なんで」


――なんで、死んじゃったの………?


昨日、若い肢体(シタイ)が燃やされた。

地面に埋められて、残った骨の一部を丁寧に包んで渡された。


葬儀のとき、彼の中にあったモノが目の前で大衆の前に晒され、木箱の中に一つずつ放り込まれていく様を見て、芭蕉は一人、木陰で嘔吐した。


縁側に座る芭蕉の隣にあるお骨はきっと彼の物じゃない。

これは何か…その辺に落ちていた木とか石ころだ。

そうに違いない。





徐に立ち上がり、芭蕉は散歩に出た。

曽良と二人で歩くつもりだった山道の続きを歩いてみる。

山の中腹にあった宿から、いつの間にか頂上付近まで来ていた。

登山者のために作られた長い階段を登り、ついに最後の一段に足をかける頃には頂上の景色も芭蕉の目に飛び込んできていて。

思わず感動してしまった。


「っきれい…」


たまらなくなった芭蕉は笑顔で振り向き、風景を指差す。


「曽良くん、頂上だよ!ほら、やっと着いた――」


………誰も、いない?


「………」


伸ばした腕を下ろし、山道の下の方を呆然と眺める。


………曽良だったモノを火葬した夜、芭蕉は何の夢も見ずに眠った。

途中、何度も目を覚ました。

枕もとを見ても………何もない。

あったら怖いとずっと思っていたのに、どうやら自分は“夢枕”というものを待っていたのだと、朝になって気付いた。




「………居ないんだね。何処にも」





音もなく地面に崩れ落ち、頭を抱える。

涙がこみ上げた。



「っ……ひっく……うぅ…そらくん、…そらくん…ッ!」


今何してるの?

何処にいるの?

ねえ、私、ここにいるよ。

早く登ってきてよ、早く、早くここまで来て――。





長い道のりを戻り、宿に帰った時にはすっかり夜が更けていた。

草むらで虫が鳴くのを聞きながら、芭蕉は昼もいた縁側にぐったりと伏せていた。

手には白い俳句を書く紙と筆。

そっと筆を滑らせる。



――ねえ、この想いが、今からでも曽良くんに届けばいいのに………





“あいしてた”



紙の上の五文字を見て、芭蕉はまた二回、筆を縦に滑らせた。

そして一字を付け足して顔を伏せる。



“あいしてた”の“た”を消した。



「愛してた………いや」



“あいしてる”





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