OTHERSHORT
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黒子の人工脳には、あらかじめ役割がインプットされていた。
自分を購入したいろはの両親の情報もそうだが、それと同時に、“二人の一人娘のそばにいて、護り、世話をすること”という命令もしっかりと書き込まれていたのだ。
だから、起動してすぐに泣き続ける少女の姿を見つけたとき、何となく分かっていた。
「おにいちゃん、いろはといっしょにいてくれるの……?」
「はい。僕の使命は、君のそばにいて、君を護ることです」
初めて起動した黒子を見て、感動していた母親と感心していた父親。
悪い人間ではないのかもしれない。
いろはがしっかりと自分の名前と年齢を言えるぐらい、教育もしっかりしている。
けれどいかんせん仕事が忙しくて、彼女を放置しがちらしいのだ。
いろはがあんなに泣いていたのに、二人は全部黒子に任せて行ってしまった。
あの二人はいろはのためを思って黒子を買った。
愛されていないわけではないが、それでも結果として、彼女は孤独なのだ。
きっといろはは、黒子なんかよりも両親にそばにいてほしかったに違いない。
両親がそばにいてくれればそれだけで幸せだっただろうのに、二人とも忙しくて、それが叶わないのだ。
可哀想な子。
ロボットの機械的な脳で、黒子はそんな感想を導き出して、そして、ロボットなりに同情の念を抱いていた。
「よろしくお願いします、いろはさん」
黒子が、跪いたままいろはの手をそっと取ると、小さなそれは、何度も涙を拭い続けて、すっかりびしょ濡れになってふやけ、冷たくなっていた。
いろはが、また目に涙を溢れさせながら近寄ってくる。
縋ってきた小さな体を、黒子は微笑みながら受け入れ、優しくそっと抱きしめてやった。
胸元から聞こえるこもった泣き声を認識しながら、ゆっくりと頭を撫でると、鼻腔にふんわりとした匂いが漂ってくる。
黒子が直感的に“いい匂いだ”なんて感じることはなかったが、人工の嗅覚器官が分析した結果を総合すれば、人間的にはきっといい匂いなのだろう。
人工の体が感じたものの全てを、人工の脳が判断して、黒子に“こう感じろ”、“ああ感じろ”と命令を下す。
黒子の体も、声も、感情も、思考パターンも、全てが他人の手によってつくられたものだった。
両親にそばにいてもらえない寂しさに心を痛め、目の前に現れたロボットに縋って泣くしかない可哀想な子。
この子は、僕が護る。
人工の域を出ない感情で、人につくられたロボットの心で、それでも黒子は全力で彼女のことを想った。
一人と一体が出会い、それから数時間が経った頃、いろははやっと落ち着きを取り戻していた。
泣きやんだいろはは、ようやく涙が乾いてきた顔で黒子を見ると、黒子を立ちあがらせ、自分が座っていたソファに案内した。
彼女の小さな手に導かれるまま、黒子が大人しくソファに座ると、いろはは交代するようにソファから降りる。
「ちょっと、まっててね?」
黒子が自分のお願い通りに、ちゃんと自分を待っていてくれるかどうか、不安そうにしながらこてんと首を傾げるいろはに、黒子はコクコクと頷く。
するといろはは、座っている黒子を何度も振り返りながら、パタパタとリビングを出ていった。
何処に行ったのだろうか。
置き去りにされた黒子は、静かになったリビングを改めて見回す。
広くて立派なリビングだ。
こんな空間は、彼女一人には広すぎた。
いろはの父親は「親戚に世話を頼むこともよくある」と言っていたが、どれくらいの頻度でここにいたのだろう。
いろははどれだけの時間を、ここで一人で過ごしてきたのだろう。
考え込んでいる間に、リビングのドアが少しだけ開いて、いろはがおずおずと覗き込むように顔を出す。
「くろこの……おにいちゃん……」
「はい」
いろははドアの隙間から、ゆっくりと童話の絵本を覗かせた。
「えほん、よんで……。だめ……?」
断られやしないかと不安そうに縮こまっているいろはに、黒子はガラスの目をパチパチと瞬き、やがてふわりと微笑んで手を差し伸べた。
「いいですよ。本、貸してください」
「……!うん!」
ぱあっといろはが嬉しそうに頬を緩ませる。
あんなに泣いていたいろはがようやく落ち着き、やっと見せた笑顔。
とても簡単だった。
本を読んであげると言っただけで喜んで、あっさりと笑顔を見せてくれた。
急いでそばに来て、絵本を差し出すいろは。
子どもの単純な思考が、それはそれで愛しくて、黒子は微笑みながら絵本を受け取った。
「……赤ずきん」
絵本の表紙に書かれたタイトルを読んで、何となく声に出した黒子に、いろはがそれだけでとても嬉しそうにしながらソファによじ登る。
いろはが隣に座ったのを見て、黒子は絵本の表紙をゆっくりと開いた。
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