恋愛狂騒

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「……太子、こんな小さなことも我慢できない僕を、許してくれますか」


ぼそぼそと、目元に暗い影を落として俯きながら妹子が唸った。


「い…妹子」

「朝議について時間の段取りを女官に伝えていただけ。それでもこんなに…っ、許せない!!」


――ガッ!


怒りに任せて振り上げた妹子の手の爪が、太子の首から頬にかけての皮膚を引っ掻いた。


「ッ妹子…今朝のアレは、本当に時間を伝えて終わりだったから…」

「本当に、それだけですか…?」


今朝の女官との遣り取りを見てしまったのだろう、それなら嘘を吐くのは逆効果だと思った太子は、「それと」と付け足す。


「怪我の具合を訊かれたかな…ほら、仕事に支障が出ると朝廷としては困るだろ?だから」

「そんなことは分かってます。分かってるんです…でもッ」


苦しそうに声を絞り出した妹子は、壁に追いやった太子に向けた拳をぎゅっと握りしめて………狂気の笑みを浮かべた。


「僕の太子の声を聞く…それだけで、許せません」


飛んできた拳を思いきり避けると、太子は妹子の壁の挟み撃ちから逃れることが出来た。

けれどすぐに妹子は太子を捕まえて、再び強く壁に叩きつける。


「う…ッ!」


背中を強く打って俯くと、先ほど強く壁に叩きつけた妹子の拳から血が滴っているのが見えた。


「妹子…血が……っ」

「え?…ああ、本当だ。血が出ていますね」


妹子もその手の血を見ると、いいことを思いついたようにパッと微笑む。


「そうだ、太子。いい機会ですから僕の血、舐めてみません?」

「は……はァ!?何言って…」


ぐ、と口元に手を押し付けられて思わず黙り込んでしまう。


「僕の血の味…太子に知ってほしいです。きっと血の味からも僕の想いが伝わると思います」


綺麗に微笑む妹子の表情が幸せに染まった。


「太子の中に僕の血が染み込んでいく……想像しただけでたまらないですよね?ほら、太子…」


妹子の声、表情に、狂気がありありと見てとれる。


「もっとです。もっと僕を愛して下さいよ…」

「…妹、子」


太子はなるべく何も見えないように目を細め、ついには目を閉じて、妹子の手の甲から指へ、控えめに舌を這わせた。


「っ…はぁ…」


妹子が熱い息を吐くのが聞こえる。


鉄の味に顔を顰める太子の頬に妹子のもう片方の掌が触れ、太子が顔を上げて目を開くと、すぐに唇を塞がれた。

太子の懐に入り込んで誘うように口付けを交わす妹子の色香に当てられ、太子も口の中の血の味を消すように舌を絡めていく。


「ん…んっ……」


息継ぎに少し唇を離すと妹子が小さく「太子、」と囁いて唇を重ねる。

赤いジャージの背中、柔らかい茶髪の頭に腕を回し、心の中で何度も妹子の名前を呼びながら懸命に愛を注ぐ。


(……好きだ、好きだ。どんなにお前が壊れても)


口付けの傍ら、うっすらと目を開くと、恍惚の表情で太子に縋り付く妹子がいる。


このキスが終わったら、妹子は多分「乱暴してすみませんでした」なんて、本気で反省して謝ってくるのだろう。

太子の頬にできた引っ掻き傷に手を添えて痛々しい表情をして、今にも泣きそうな顔で「ごめんなさい」を言うのだろう。

けれどまた、すぐに。


「…もう少し深く傷を付けたた、血が出ますかね…?」


そうやってまた爪を立てて、ガリと。


「ッつ……」

「太子…僕の血、美味しかったですか……僕も、もっと貴方の血が欲しい……」


とうとう血が滲んだようで、妹子は爪の先に付いた血をぺろりと舐めてみてにこりと微笑んだ。


「太子…おいしい…」

「妹子…っ」


好きだけど、こんなことをされるのは確かにかなり怖い。


傷口に唇を落とした後、血を丹念に舐められて。

恐ろしいくせに変にいやらしいから拒絶できなくて。


「ん…太子、好きです。すき…」


ぺろぺろと舐めながら熱っぽい声で囁かれ、自分まで壊れていく。


「私も…愛してるぞ、妹子」

「嬉しい…」


また口付けをして、深く深く溺れていく。



全てのものはいつか壊れてしまう。

壊れるというのは無くなってしまうということである。

壊れるというのは過程の名前である。

崩壊がいつまでも続くなんてことは有り得ない。

己の崩壊、彼の崩壊。

二人で壊れていく。

いつか完全に壊れてしまう。

それがつまり二人の終わり。


…いつか、終わるのだ。


(………私と妹子は、いつ、終わるんだろう)


底知れぬ不安が襲ってくるのを無理矢理無視するように、太子は滴る血も気にしないまま唇を重ねたままでいた。



*了*
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