その瞳にひかりを

□第九話−鬼の間−
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鬱蒼とした草むらをかき分けて進めば、自分よりも背の高い草木が露出した足や腕に傷をつけていく。今まで感じることのなかった痛みを俺は忘れていた。生きていたときもけがはたくさんしていたが、白狐になってからは痛みなんて感じなかったし、第一けがだって負わなかった。
鋭利な葉で切れた足はところどころ血が滲んでいる。どこか、水場で汚れを洗い流さないといけないな。その時、草木が揺れて擦れ合う音の中、水の流れる音が聞こえた。辺りは薄暗くてあまり見えないが、近くに川があるのかもしれない。音のするほうに進んでいくと、ようやく草むらを抜け出ることができた。目の前には小さな川が流れている。ほっと息をついて、川辺にしゃがんで小さな手で水をすくう。冷たい水に口をつけ、からからに乾いたのどを潤す。水を飲むのも数百年ぶりだった。

手足や頬にまでできた傷を洗い流していると、少し離れた川の反対側に人影があることに気づく。桶を持った小さな影は、どうやら少女のようだ。今の自分とそう変わらない背丈で、こっちをじっと見ている。驚いたような、不思議なものを見るような、そんな顔だ。


人間には、あまり近づかないほうが良いかもしれない。


不意にそう思った。今は彼女と同じような小さな少女の姿だが、中身は妖怪だ。人間に危害を加えることはしないが、やはり近づいていいものではないだろう。例え見た目が少女でも、目は紅い。そんな者を見れば、人間は誰だって気味悪がるだろう。

少女と合わせていた目を反らして、川上に足を進める。上に行けば山があるだろう。妖怪は山を住みかにする習性がある。やつらを野放しにしておけば、いずれ人間たちに被害が及ぶ。早いうちに始末しておかなければ。


「まって!」


高い声が後ろから響く。足を止めて振り向けば、さっきの少女が川を渡ろうとしていた。しかし、小さな川でも底は深い。とたんに少女は水の中で足を滑らせ、腰まであった水に流されそうになる。急いで川に飛び込んで少女をつかまえ、足元に注意しながら川の反対側まで歩く。少女を抱き上げて川辺に上がれば、彼女は少し水を飲んでしまったのか、何度か咳込んでいた。ずぶぬれになってしまったが、少女が助かったのだからよしとしよう。

地面に座らせると、咳はおさまったようだ。少女は俺を見つめ、驚いたようにしてその場で正座をした。


「ありがとう!あなた、とっても力もちなのね!」


笑って俺の手を握る。確かに、人間と比べれば妖怪の力はすさまじいものだ。同じ背丈の少女に抱き上げられる経験も彼女にはないだろう。


「わたしは杪(こずえ)!あなた、なまえはなんていうの?」


杪と名乗った少女は首をかしげた。純粋で無邪気な笑顔に俺は戸惑ってしまう。


「……伊駒桧里」


言ってしまってから気づく。名乗らないほうが良かったかもしれない。俺と杪に関わりがあると分かれば、妖怪たちは彼女を狙うかもしれない。

立ちあがって川の反対側に飛び移ろうとするが、その前に杪が腰に腕をまわしてしまった。飛ぼうと思えば飛べるし、振り払うことだってできるけど、そうすれば彼女がけがをしてしまうかもしれない。


「ねえ、桧里はどこからきたの?ふく、すっごくぼろぼろだけど」


杪は赤と茶色の着物を身にまとい、俺はところどころ破け、泥や妖怪の血が滲んだ甚平を着ている。確かにぼろぼろだ。今まで気にもとめていなかった。


「わたしのせいでずぶぬれになっちゃったね。うちに来て!おふろで体をあたためないとかぜをひいちゃう!それに、ふくも着がえなくちゃ!」


腰にまわしていた手をほどいて、今度は手を握り、引っ張っていく。水で冷えたはずの杪の手は、どうしてかとても温かく感じた。


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