戴き物のSS

□至尊
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至尊2


 英雄として、女王として、国中から絶大な人気と尊敬を集めるアリーナは、未だ正式な伴侶を得てはいなかった。政治的な判断と、私的な思惑とが絡み合い、成人して10年。即位して5年が経つ今も彼女を独身たらしめている。
 妙齢の王族貴族の姫が独身というと、世間ではとんでもない不細工なのではという噂が囁かれ始める。
 それを助長するだけの噂が、アリーナにはあった。
 徒手空拳で城の壁をぶち抜いただの、魔物を一撃粉砕しただの、天をも貫く高い塔から飛び降りてぴんぴんしていただの。そんな、およそ深窓の姫君らしからぬ噂が一人歩きして、実物とはかけ離れた虚像を思い浮かべたとして、アリーナには文句もいえない。噂の大半が、実話であったからだ。
 噂通り、世界を滅びから救った『翡翠の勇者』や、世界一の剣豪『赤冑』のライアンと並び立つ武勇を誇るアリーナだが、決して筋肉隆々とした男女の別もわからぬような容姿をしているわけではない。噂とのギャップも相俟って、神の手による造型がごとき美しさに、アリーナを見た者は必ずアリーナに恋をした。
 だから、求婚者が無いわけではないのだ。
 今日も今日とて、信心深く敬虔な神官様が、婚姻は神の望むことであり、王として果たさねばならぬ責務であると、謁見の間で声を響かせている。行儀悪く玉座に頬杖を付きながら、アリーナはまた始まったと飽き飽きした表情でこれを聞くのが毎月のお約束となっている。

「こちらは三月前にお断りされたキングレオの…」

 進化の秘法に魅せられて、国を私物化し、一度は暗黒に堕ちた王国も、老王が復帰してからは法と秩序を取り戻した。一人息子を失った老王は、養子に迎えた甥孫に有力な後ろ楯をつけようと、何度となくアリーナに縁談話を持ち掛けていた。

「クリフト」
「は」

 何度も説明しなくていいと、アリーナはクリフトを遮った。いつもならば、この後アリーナは「結婚するつもりはない」とクリフトを追い払うのだ。
 ――が、この日は少し違った。

「もうわたしに縁談を持ち込まないで」
「いや、しかしそれでは…」

 サントハイム王家の直系の血が絶えてしまうと言い募ろうとするクリフトを、アリーナはもう一度制した。

「血が耐えなければよいのでしょう? わたしは今妊娠しています」

 謁見の間に堂々としたアリーナの声が響く。い並ぶ家臣団が呆気に取られている中、誰より早く我を取り戻したのはクリフトだった。

「は?」

 何をバカなことを言い始めたんですかと言いそうな不遜な態度で、クリフトは器用に顔を歪めた。

「妊・娠、したわ! だからお前はもうわたしの婿の心配をしなくていいの。ほんっと、清々するわ」

 どうだ参ったかと、こちらも眉をそびやかす。

「…いや。あー、いや、しかし姫様」

 場所も立場もわきまえず、今にも子供のような言い合いを始めそうなアリーナとクリフトの間に割って入ったのは、先代にも仕えた大臣だった。
 こめかみを揉みほぐしながら、大臣はクリフトとアリーナを交互に見やる。
 この二人が恋仲なのは知っていた。にも関わらず毎月毎月アリーナに他の男と結婚しろと勧めるクリフトを訝しく思ったりもしたものだ。
 アリーナが本当に懐妊していたとして、腹の子はクリフトの種ではないのか。クリフトと裏で示しあわせて、こんな三文芝居を始めたのではないのかと疑っても無理はない。そう思っているものはこの場に何人もいるだろう。
 そう疑って、大臣はクリフトの様子を伺ったのだが、大臣以上にクリフトは驚き呆れた表情をしている。もしこれが演技なのだとしたら、彼は神官などやめて芸人になるべきだ。

「あー、姫様。いや、女王陛下」

 ちろりとアリーナに睨まれて、大臣は言い直した。狼狽するなと言うのが無理な話だが、咳払いして仕切り直す。

「してそのお話、間違いと言うことは…」

 仕切り直しても、つい尻窄みに声が小さくなってしまうのは仕方ない。幼少より目に入れても痛くない程にアリーナを愛し、可愛がってきた。今ではそこに、アリーナを畏怖する心までもが芽生えている。キリッと睨まれれば、胃がきゅっとすぼまる思いがするのだ。

「ないわ」

 きっぱりとアリーナが首を振った。クリフトが深くため息を吐いて、天上を仰いで神に祈る素振りを見せた。

「嘘じゃないわよ。マーサに聞いてみるといい」

 マーサというのはアリーナの乳母の娘で、アリーナの身の回りの世話一切を仕切っている。クリフトとの手引きをしているのもこの侍女だ。
 大臣は頷き、部下を確認に走らせる。程無く裏がとれるはずだ。

「わたし、神託を授かったのよ」

 その時の事を思い出したように、アリーナは小さく身体を震わせた。両手を祈りの形に組んで、尚も言葉を続ける。その瞳は真剣で、とても嘘をついているようには見えない。と同時に、夢でも見ているような、何かに酔っているようにも見えた。

「神が夢枕に立たれて、わたしのお腹に触れたの」

 夢で神がアリーナの腹に触れ、神の手から光がアリーナの腹へと移ったのだという。光は生き物のように脈打ち、アリーナは懐妊したと主張する。

「サントハイム王家は、神の御子を授かったのよ」

 竜の神と直接話したこともあるアリーナが言うのだ。もしかしたらそういうこともあるのかもしれない。なんといっても相手は神様で、方や破壊の帝王を討ち果たした伝説の英雄アリーナなのだから。
 大臣は今一度クリフトを見やり、クリフトの表情を確かめた。それに気付いたクリフトも、心痛察すると言いたげに大臣に目配せしてきた。

「わかりました。まずは薬師の診断を受けてください。すべてはそれからです」

 全身で溜め息を吐くように大臣は言って、謁見の間に詰めた面々に解散を告げた。




 宮廷薬師の診断を受けたアリーナが、サントハイム世継ぎの御子を生むのは、これから147日後のことである。
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