戴き物のSS

□可愛いひと
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可愛いひと


 風薫る草原に、騎士がひとり。
 異国風の青い甲冑を身に纏い、川向こうを見据えていた。その姿は堂々としており、百戦錬磨の老兵を思わせるが、兜の下の日に焼けた素顔は思いの外若い。見るものが見れば、幼いとすら感じるような青年だった。
 青年は、川向こうの木立の中に潜んでいる敵が動くのを誘っている。為に単身、遮蔽物のない川の対岸に身をさらしているのだ。
(餌が足らんか…)
 安く見られたものだと、兜の下の形のよい唇が笑う。
 勇者と呼ばれ、英雄と祭り上げられたこの身、この首ひとつでは、敵は動いてくれないとみえる。敵が欲するのは村がひとつ冬を超せるだけの小麦の束だ。台車に乗せてこの川を渡る準備をしているが、渡河の最中に攻撃を受けるのは目に見えている。渡河中に荷を守りながら戦う、というのは如何にも分が悪い。アレフには、敵が潜む森ごと敵を殲滅する手段もないことはないのだ。が、小麦50俵と森ひとつでは、どうにも採算が合わない。どうせ自分のものになる土地だ。出来れば無傷で手に入れたい。積み荷を守る子飼いの部下だって、無駄に死なせるわけにはいかない。
「どうしたものかな…」
 声に出して呟いてから、アレフはさも油断している風に兜を脱いだ。長めの黒髪が風にそよぐ。
 それからアレフは、悠々と20歩程離れた場所に建つ仮屋の天幕を上げた。
「ローラ」
「はい?」
 場に似つかわしくない、白いドレスの女がにこやかに応じる。アレフに手招かれるまま仮屋から出てきたのは、ラダトームの至宝と呼ばれた絶世の美女、ローラ姫その人だ。
「出ておいで、風が気持ちいいよ」
 アレフに笑顔で誘われ、ローラは嬉しそうに従った。差し出された手を取り、川岸まで歩く。
「森の向こうに丘が見えるか? そこに館を建てようと思う」
 アレフが指差す方を、ローラは背伸びをして眺めた。その拍子に、バランスを崩してよろめく。
「おっと」
 ローラを、というよりは、ローラの腹を、アレフは支えてやる。そして何かを揶揄するように、方眉だけ上げてニヤリと笑った。
「お前の城だ」
 アレフの手の上から、丸みを帯びた腹に手を当て、ローラは不満そうに唇を尖らせる。
「わたくしに国をくださるお約束は?」
 その瞬間、空気が引き裂かれる音がした。
 今の今までローラの頭があった場所を矢が射抜く。ローラはアレフの腕の中にいた。目を丸くするローラが事情を飲み込めないでいるうちに、矢は次々と飛来する。ローラをマントの中に隠すように片腕に抱き抱え、アレフは右手にした炎の剣一本で矢を切り落としていた。
「アレフさ…ぁっ」
 怯えているのではない。囮に使われたことに気付いて抗議しようとしたのだ。そのローラに皆まで言わせず口付けで苦情を封じ込める。ローラが黙ると、アレフは矢が飛び交う状況に不似合いな優しい笑みをローラに見せた。
「いい子にしていたら、な」
 アレフの唇が二言三言、ローラには解らない単語を紡いで、ローラの額に触れた。途端に何か不思議な力がローラを包む。これは知っていた。ローラを害する全てのものから、ローラを守る魔法の力だ。
 スカラが掛かったことを確認すると、アレフはローラをひとり草原に残して駆け出した。重たい金属鎧を着込んでいるとは思えない、軽い身の熟しで川を渡り、迂闊にも森から出てきてしまった敵の弓兵を、剣の魔力を解き放って焼き払っていく。
 森に戻ろうとするものと、森から出てきてアレフとローラを射殺そうとするものが、森の入り口でぶつかり合う。
 浮き足だった敵兵が体勢を建て直す頃には、もうアレフは川を渡って敵に肉薄している。戦闘は、呆気ない程簡単に終わった。
 蒼天の甲冑には、返り血ひとつ浴びず、曇りひとつなく輝きを放ったまま。屍の只中で、アレフはローラを振り返る。
「無事だな?」
 当たり前の事をわざわざ確認させるなと、その口調が語っている。それでも一応とはいえそう聞くのは、囮に使った身重のローラを気遣っているらしい。
「はい」
 それが無性に可笑しくて、そんなアレフがいとおしくて、
「はい。あなた」
 ローラはくすくすと笑い続けた。

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