戴き物のSS
□わたしの太陽
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小さな星がか弱く瞬く、静かな夜更け。朝陽が目を覚ます気配はまだなく、サントハイムは甘いまどろみにたゆたうばかり。
国中を上げての記念イベントを目前に控えた夜明け前。城内に併設された教会、その誰もいない暗闇の中に一人の女性が姿を表した。
ふわりとカールした紅い巻き髪、小柄な体。そして透き通ったガーネットの瞳。
この数時間後には「女王陛下」と呼ばれる立場になる、サントハイム王女アリーナその人である。
かつて天空の血をひく少年と共に戦い、悪しき魔力によって封じ込められていたサントハイム国王を救いだした誉れ高き英雄。エンドール武術大会優勝をはじめとする彼女の武勇伝は今や世界中で語られている。その強さだけではなく、活き活きとした振る舞いや凛々しい瞳に魅了される者も多く、「美しき戦の女神」と称されているのは有名な話である。
だが今、光を秘めた紅い瞳はまるで闇を映したかのように翳り、冒険中カモシカとまごうごとき健脚で鳴らした足どりは重い。
ーーそれもそのはず、数時間後に迎える戴冠式、それが彼女の心をどんより曇らせているからだった。
もともと、王族然とした振る舞いが苦手な彼女である。
野を駆け、空に歌い、サントハイムの豊かな自然を愛する彼女に王宮は狭すぎた。教育係が頭を悩ませるほどのお転婆、幼い頃から彼女は自由だった。
「お転婆姫」と城中の悩みの種だった彼女が、冒険の旅を経て世界中から称賛を浴びる「王女殿下」となった今、サントハイム国王がすかさず王位を譲ろうと考えたのも無理はない。
だがさすがのアリーナでも、その重さは理解できた。
重たい足取りを止め、彼女は跪いた。両手を組み合わせ、ただ静かに祈りを捧げる。
ーー冒険の旅では、彼女の両手はこの上ない武器であり、その手が世界をーーサントハイムを守った。それが彼女にできるすべてだった。
ところがどうだ。今日あと数時間後、父王が戴くこの国の統治者の証を自分が引き継げば、もうこの拳は何の力も失ってしまう。彼女が幼い頃から鍛え上げたものが、無用の長物となってしまう。
それが、遣りきれなかった。
(私、戦うしかできないのに)
(女王様になんて、なりたくない)
(またあの時のように、逃げ出してしまいたい……)
腕試しに出た二年前。あの時は、王位などどうでも良かった。あふれだす好奇心と期待。その心が赴くまま、駆け出すことができた。それなのに。
「……姫様……?」
暗く沈みこむアリーナの背後からおずおずと声がかけられる。
「驚きましたよ、どうなさったのです?」
「クリフト……。何でもないよ、ただちょっと目が覚めちゃっただけ」
クリフトはその凛々しい眉を潜める。アリーナを幼い頃から知る彼が、彼女の変化に気づかないわけはない。
「アリーナ様?」
ほんの少し、非難の色が込められる。
なぜ私にその胸の内を打ち明けて下さらないのです? 彼の穏やかな瞳がそう言っている。
幼馴染みであり仲間であり臣下である彼に見つめられるのに、彼女は弱い。
しばし俯き、もじもじとした後、ようよう重い口をひらいた。
「私……女王様になんて、なりたくないよ……」