終わり亡き謡

□刑部姫と幼き雲雀の出会い頭
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それは良く晴れた日。すでに夕刻の時だった。物見やぐらからも沈む夕日が差し込んでくる。
いつものように人が訪れて、少々煩い。
しかしそれも朝から夕刻までの事。夜になれば寂しくなるほど静かになる。その静かな時が好きだった。

「早く時間がこないかのぉ…」

すると、とっとっとっとっと、階段を上がってくる音がした。
また童が階段を登って遊んでいるのだろう。しかし、天守閣は立ち入り禁止だ。それ以上は進まないようにそう書いた札を下げてあるので親が大きな声でその童を呼び戻す。その声の煩さと言ったらない。だが、そのお陰ですぐに引き返してしまう。
しかし今回はどうしたことか、階段をどんどん昇ってくる。
全く、放任主義の親か。
その童の姿を見てやろうと、くるりと階段を振り返った。

「ここが一番上…」

そう言って、童は大天守に上がって来た。
黒い髪の毛を短く刈っている。刈り上げているわけではない。毬のように丸っこい形をしていた。
下界を見下ろしていたが『じゃんぱー』なる暖かい着物を纏い、手に袋を嵌めている。
その童はこちらを見て、目をぱちくりさせた。
そして腰に手を当ててむっすりと顔を膨らませた。

「オバサン。何してるの。ここは立ち入り禁止だよ」
「童こそ。ここは立ち入り禁止じゃ」
「僕は良いの。僕は今日、此処で一晩過ごすんだ」

 よくよく見ると、背中に何かをいっぱい入れた袋を背負っている。背負っているモノは、確か『りゅっく』と言ったか…。さらに小脇に大きな物を抱えていた。

「童。抱えておるそれはなんじゃ?」
「オバサン図鑑も知らないの? これは星座の図鑑」
「正座? 座ればよかろう」
「違うよ。星のこと。空の星!」

仕方ないな、と童は勝手に寄ってきて、目の前で広げて座りこむ。
そして、空の絵を指した。

「これがオリオン座。こっちが北斗七星で…」
「星に名が付いておるのか?」
「オバサン本当に何も知らないんだね。星座だってば」

どうやら、この星の絵に線を繋がれたのが「せいざ」と呼ばれるものらしい。

「しかし、星にはそんな線は付いておらんぞ」
「こうやって線が付いてたら見やすいでしょ? あと見つけやすいからだよ。オバサン馬鹿なんだね」

童は、また見上げて頬を膨らませた。

「お主ら人間のやっていることなんて、無駄なことが多いからのぉ。星に名前を付けて何が面白いんじゃ?」
「名前は元から付いてるよ! 探すのが楽しいの!」
「何万回と見ておる。今更改めて見て、何が面白いのやら…」
「綺麗じゃない!」

童はそう怒鳴って、絵がいっぱい書かれた書物をずいっと見せてきた。

「こんな写真だけ見て綺麗だと思うの?!」
「しゃしん?」
「これだよ、これ! オリオン座を撮影した奴!」
「何だ。絵のことか」
「違うよ! カメラで撮ったのを写真って言うの!」

童は絵を指差しながら怒り、「変な人!」と睨み上げてくる。
しかし、この絵。とても本物そっくりだ。人の手で此処まで描けるとは素晴らしい。

「しかし、本物そっくりじゃのぅ」
「当たり前だよ、写真なんだから!」

ぷりぷりと怒っている童はぱたんと図鑑を閉じた。

「オバサンとは話がかみ合わない! 僕はこんな写真じゃなくて、空に浮かんでる星を自分の目で見たいの!」
「見て楽しいのかぇ?」
「楽しいよ! 綺麗だもん!」

そう言うと、童は妾の背後に回ると、背をうんしょと押し始めた。

「オバサン出て行って! 僕は一人で見るの!」
「妾は此処に住んでおるのじゃ。出て行かん」
「嘘だー! このお城は閉鎖時間になったら立ち入り禁止になるんだよ!」
「それは妾が住んでおるからじゃ。人の子がいつまでも残っていて良い場所ではない」
「はーやーくー! 追い出すよ!」

童はそう言って、顔を顰めた。

「ほぉう。妾をここから追い出すか…――それは面白いことをいう童じゃ」

すると、どろん、どろん、と次々狐の面を被った護衛達が姿を現した。赤い袴に白い着物。手には薙刀を持って童を見下ろした。

「しかし、妾も煩い童は嫌いなのじゃ…そちに出て行ってもらうとするかのぅ。いい加減、飽きたわ」

くすくすと袖で口を隠す。

「何これ。手品?」

童は出てきた護衛達をキョロキョロと見た。

「その煩い童を追い出せ」
「はっ!」

護衛達が一斉に承諾すると、童に駆け寄って行った。
童に背を向けて、護衛達が開けて作った道を一歩踏み出すと、後ろで「ぎゃ!」と悲鳴が聞こえた。
それは童の物ではなく、間違いなく護衛の声だ。何事かと振り返る。
すると、既に数人の護衛が床に伏せていた。子供は二本の木の棒のようなものを持って、触るなと払い飛ばしながら棒をクルクルと振り回した。どうやら、その棒には取っ手がついているらしい。それをぶんぶんと振り回し、次々と護衛達を倒して行く。

「な、何をしておるのじゃ! さっさとその童を放り出さぬか!」

しかし、下部達には歯が立たないのか次々と倒されて行く。数十と居た下部はあっという間に倒されて、残ったのは童と妾のみ。

「わ、妾の護衛達が…――童…! お主、何者じゃ!」
「僕は雲雀恭弥だよ」

すると、背後で息も絶え絶えのように薙刀を支えに立ち上がろうとする護衛の狐面へ向かって一発、棒を叩きこむ。再び、床へと這いつくばった。

「こんな弱いのが護衛なの? 役立たずばっかりじゃない。子供にやられるようなの連れてたって悪い人に狙われた時殺されちゃうよ」

童が一歩踏み出すと、腰の力が抜けてべしゃりと座りこんでしまった。

「オバサンは僕ぐらい強い護衛が居なかったことを恨むんだね。まぁ、一番は弱い自分が悪いけどさ」

スタスタと歩み寄ってきて、童が目の前で見下ろしてくる。

「僕が帰った後にお星様にお願いしなよ。僕ぐらい強い護衛が来ますようにって」

童はにやりと笑って、棒を振り上げる。

「あら、恭弥。此処に居たの」
「!!!!!!!!!」

童は呼ばれると、顔を真っ青にして振り上げていた棒をさっと身体の後ろに隠した。

「かっ! かかかっ、母さん! どうして此処に?!」
「バタバタ音がしたの。恭弥が居ないから探してたら…うふふ。こんな所に居たのね」

こちらは黒くて長い髪の毛を後ろに流した女が、にっこりと笑いながら歩み寄って来る。

「あら恭弥。トンファーを振り回して何やってるの?」
「え?! あ、えっと…――お、オバサンと遊んでたの!! 横で倒れてるのは、負けたから! 負けたふりをしてくれてるの! 僕、殴ってないよ!!」

あらぁ、と童の母親は大きな瞳で辺りを見回した。
そして残念そうに首を傾げた。

「恭弥。帰りますよ」
「い、いやだ! 僕は此処で星を見るの!」
「駄目です。閉館時間が迫ってるんだから」
「で、でも! こんな弱い護衛しかいないオバサンを僕が守らなくっちゃ!」
「うふふ。優しいのね、恭弥。でも…――」

童の母親は、童が後ろに隠した棒を奪い取ると。両手で握り…――その華奢な腕でばきりと折ってしまった。

「旅行にトンファーは持って来ちゃ駄目って言ったわよね?」

二つに折れた棒が、からんからんと軽い音を立てて床に落ちる。
童の顔が、さらに真っ青になった。

「さぁ帰るわよ、恭弥。我儘言うようだったら、そうね。この窓から下に降ろしてあげるわ。すぐに帰れるわよ?」
「ぼ、僕ゆっくり帰りたい!」

童はりゅっくの中にもう一つの棒を突っ込んで、りゅっくを背負い直した。

「オバサン、またね!」

童は図鑑を置き去りにしたまま、ぴゅーっと階段を駆け下りて行ってしまった。ドタドタと階段を降りる音がよく聞こえてくる。

「あらあら。恭弥ったら図鑑忘れて行ってるわ。困った子。自分で欲しいって言ったのに…」

童の母親は、それを見下ろしてにっこりと笑ったまま。

「大切に持っていて下さるかしら? その図鑑」
「お主、母親ならば持って行って…――」
「大きくなったら非礼を詫びさせるわ。刑部(おさかべ)姫様」

ぎょっとなって、自分の目が丸くなる。

「な、何故妾の名前を…!」
「私は恭弥と違って貴方の姿は見えないの」
「?!」

でも確か、と童の母親は呟く。

「姫路城の天守閣、一番上の階には美しい身なりをした女性が居ると聞いています。それが刑部姫。申し訳ありませんでした。家の恭弥ご迷惑おかけしました」

妾を見ることなくぺこりと頭を下げた。見えていないからだろう。物見やぐらを真っ直ぐ見つめている。

「そうね。お詫びに和菓子でも持って行きますわ。お口にあうか、分かりませんが」

ふふふ、と笑って、童の母親も静かに背を向けた。
「御機嫌よう」と残し、ゆっくりとした足取りで階段を降りて行く。
とん、とん、とん、と。
階段に吸い込まれて、次第に姿は見えなくなって。
また、何時もの静寂が大天守を包むのだった。
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