終わり亡き謡
□強欲な男と白蛇の女房
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のぅ、お若いの。この老いぼれの話を聞いて行ってはくれんかのぅ。
強欲な男の話だ。
なぁに、長くないよ。すぐに済むから。
お前さんも、此処に座って話を聞いてくれ。ワシに顔がよく見える場所に座って聞いておくれ。
∞∞∞
昔々、強欲な男が山へ竹を取りに行った。
その男は途中、白い蛇を鷲掴みにしている商人とすれ違った。
あんまりにも珍しいからどうするのか聞いてみると、商人は白い蛇は幸運を呼ぶと言われているから家に連れ帰って飼うと言った。
別れはしたが、此方を見た白蛇が助けを求めているように強欲な男には見えた。
強欲な男はくるりと踵を返すと、商人に法螺を吹いて白蛇を助けてやった。
「あんまり、人目につくような所に出るんじゃないぞ」
強欲な男はそう言い残して、仕事に戻って行った。
それから一年後、強欲な男の家に綺麗な女がやって来た。その日は酷いどしゃ降りで、雨宿りさせてほしいと言った。夜も遅いし、強欲な男は泊めてやることにした。
話をしていると、女はあてもなく旅をしていたらしい。
「此処に、住まわせてくれないでしょうか」
女の申し出に、強欲な男は驚いた。
一目見た時からこの人が女房になってくれたら良いなと思っていたからだ。
強欲な男はその申し出を聞いて夫婦(めおと)になった。
男は女房を幸せにするために昼夜休まず働いた。
するとどうだろう。
今まで全く売れなかった男の竹細工は飛ぶように売れるようになった。作れば作るだけ。
そんなある日、何時もよりも早く商品が売り切れてしまい、男は早めに家へ帰った。
戸を開き、ただいまと言おうとした直前、男は目に飛び込んだ光景に驚いて声を失った。
障子越しに映ったその姿が、大蛇の姿を映していたからだ…──。
∞∞∞
息を飲むほど美人な女性の唇が、身体が、震えている。老人と共に、この家に迎え入れてくれた二十代ぐらいの女性。
黒の麗人。雲雀恭弥はその女を見た瞬間から『異様』を感じていた。
それは恐らく、雲雀の隣で目を丸くしながら女と老人を交互にみやっている沢田綱吉もだろう。
床に臥せっているヨボヨボの老人は起き上がり、今にも泣き出しそうな女性に向き直った。
「お前は…あの時、ワシが法螺を吹いて助けた蛇だったんじゃなぁ…」
思い出したように、しみじみと老人は女性に呟いた。
女性は目を大きく見開いて口を抑えていた。
2人は無言で聞いていた。
「すまないのぉ…」
老人は、掠れた声で女性にそう謝った。
いいや、女性と表現するべきではない。彼女は老人と60年も連れ添った女房なのだから。
「幸運でいたくて、黙ってたんじゃ…」
すまないのぉ、とまた老人は薄く笑いかけた。幸せそうに。
女房は俯いて立ち上がり、頭を深く、深く下げた。
「薬を…薬を、只今持って参ります…!」
「すまないねぇ…お願いするよ」
女房は再び、開けた襖の前で頭を深々下げる。
「ま、待って!」
女房の後を綱吉は追って部屋を出た。
老人はそんな2人を見届けてから、床に戻った。
「何で大蛇の姿を見た時、何も言わなかったの」
雲雀は相変わらず無感情な声で問うと、老人は。
「どんな昔話もそうじゃろう?」
老人は嬉しそうに笑った。
「女房の本当の姿を見てしまったら、女房は男を置いて帰ってしまうだろう?」
「そうだね。異類婚姻譚ではそれが定説だ。神獣側の『決まり事』でもある」
そこに居るだけで幸運を呼びこむ神獣。彼の売った竹細工が飛ぶように売れたのはめとった女房のお陰だろう。
幸運を招き寄せる体質を持った彼らは、人と結ばれるには数々の決まりがある。
第一に、本当の姿を見られたら元居た場所へ帰ること。
第二に、長者になったら家を離れること。
他にも、厳しい取り決めが数個ある。
たった一人の人間に、幸福を授け続けるのはあまり良くないからだ。
神獣か、と老人はまた笑った。
「彼女が居なくなってしまったら、ワシの幸運は途絶えてしまう」
「そうだね」
「だから手放したくなかったんじゃ…幸運でいたくって知らぬフリをした…ワシは、強欲だからな…」
「幸運でいたかったわりには、何でこんなボロ家にいるの。白蛇の神獣はこれまでに貴方へ多大な幸運を運んできたはずだ。そこまで年老いるまで、巨額の富を得たはずだ」
どう見たってボロ家だ。
本来なら神獣の恩恵を授かった人間は大富豪になる。しかし、この家は大富豪が住むような家ではない。
床はギシギシ鳴るし、雲の巣もかかっている。隙間風もひゅうっと入ってくる。
この家か、と。
「さぁ…忘れたのぅ。建てた家は燃えたし…金は盗まれたからのぅ…──もう、何十年と前から住んでおる…──彼女がいればワシは幸運でいられた…──」
そう呟きながら、老人は。
「ワシは彼女がいれば幸せでいられたんじゃぁ…!」
ぼろりと一滴。
老人の瞳から透明な雫が、溢れて落ちる。
「なぁ、お若い死神様や…」
老人は雲雀を見て、泣きながら笑った。
「ワシを連れて行ってくれんかのぉ…? 女房が戻って来る前に…──あの世へ連れて行ってくれんかのぅ…?」
泣きながら、老人は頼んだ。
雲雀はそんな老人を見下ろして。
「僕は人間だよ。失礼だね」
そうか、と寂しげに老人は目を伏せた。
「そうか…死神様ではなかったか…──すまんねぇ…ありがとう、お若いの…最後に…こんなボロ家に来てくれてありがとう…」
老人は雲雀の手を握ったあと、静かに目を閉じた。
「雲雀さん…」
綱吉は物凄く、悲しそうな顔で戻ってきた。今にも瞳から溢れ落ちそうなほど、涙が溜まっている。
それをごしごし腕で拭った。
「おくっ…奥さんが…っ」
「そう」
雲雀は無表情で胸ポケットから携帯電話を取り出すと、操作して耳に当てた。
『緊急ですか? 救急ですか?』
早口で女が電話越しで問いかけた。
「老人の孤独死を発見した。場所は…──」
緊張の糸が切れたように、動くことはなくなったその手をゆっくり放した。
それから警察が来るまで、女房は薬を持ってくることはなかった。
∞∞∞
落ち葉散る、枯れ木立ち並ぶ秋の帰路。
事情聴取を終えた頃には、空は星空に塗り変わっていた。
「いつまで泣いてるの。君が泣き出すからこんな時間にまでなっちゃったじゃない」
「ず、ずみまぜ…ぅくっ…」
未だに泣きっぱなしの綱吉に雲雀は腕を組んだ。
「だって…!」
「あぁ。老人は正体を告白することで彼女を解放した…──それも、彼女は分かって去っていったんだろう」
「はいっ…! あの人もっ……そう言って…!」
女房が薬を取ってくる老人へ最後に言ったあの言葉には『さようなら』の意が。
老人も取ってくることはないと分かっていながら薬を頼んだ言葉には…──『今まで、ありがとう』の意が。
込められていたことなどすぐに分かった。
老人が、死ぬ直前に愛する人へ宛てた『さようなら』。
「さて。旅館に戻ろうか。僕の用事は終わった」
ショルダーバックから、スクラップブックを取り出した。雲雀手製のそれをペラペラ捲り、目ぼしいページを見つけ出す。
それは、雑誌の切り抜き。
『激写! 山中の巨大な白蛇!』
それに黒い筆で雲雀はぺたり、ぺたりとバツの線を引いた。
∞∞∞
それから数日後。
この付近で白い大蛇の窒息死体が見つかった。人体構造で例えるなら、首の辺りが締められていたそうな。
縄の先には折れた幹が括られていた。
折れた幹が元有った場所は大蛇ではさほど高くないが人間では結構な高さ。うっかり縄を首に巻き付けてしまえば首吊り出来る高さの所にあった幹だった。
何故この一本が縄に繋がっていたのかは、詳しい所、まだ分かっていない。