吹溜まり−おはなし−
□ever lasting night
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「水脈。お前、先に帰っていろ」
「…は?」
突然すぎる言動には慣れたと思っていたが、甘かった。
「…晋作さん?それは、未来に帰れ、ってこと?」
「そうだ!」
「…っい…」
「勘違いするな!」
嫌、と拒否しようとした言葉を遮り、強い瞳がこちらを見据える。
「水脈、俺はお前と、長い時間を生きたい」
「…晋作さん…」
「今、この生でお前と共にいたくないわけではない。だが」
彼は一度言葉を切ると、にかっと笑った。
「もっともっと長い時間をお前と過ごしたいんだ!」
だから、先に帰っていろ!必ず向こうで見つけるから。
自信たっぷりに告げた。
「俺が死んでから帰ったのでは年の差が逆転しかねん」
眉をしかめてぶつぶつと一人呟きながら。
まぁ、俺はお前が相手なら年上だろうが年下だろうが構わんがやはり男は女を護れる立場でいたいしな!うんうん一人で頷いている。
再び出会う事は決定事項のようだ。
水脈は急に笑いがこみ上げてきた。
「…っあは、あはははは…っあはっ」
「ん?どうした?」
きょとりとしながらもその目はやさしく楽しげに細められたまま。
出会った頃より確実にやつれた顔で高杉は、けれどもその生きる気力は決して衰えてはいなかった。
「水脈」
「あはは…はい」
笑いすぎて浮かんだ涙を指で拭いながら返事をした水脈は、高杉と見つめ合ううちに、その涙がいつの間にか違うものに変わっていくのを感じていた。
「…っ…、しん…晋作さん…っ」
くしゃくしゃの顔をその胸に飛び込むことで隠す。
「…な、はな、れ、たく、な…」
ぎゅうぎゅうと力いっぱい背中にしがみついた。
「水脈。大丈夫だ!必ず見つける。この俺様が自分の女を見つけられない訳がないだろう」
なんたってお前は未来永劫この高杉晋作の女なんだからな!
八重歯をむき出して笑う。
がしがしと水脈の髪を乱暴にかき回して、
「わはは!ぼさぼさだな!」
「っひ、ひどーい!晋作さんがやったくせに!」
叫んでまたしがみついた。温もりを覚えていたかったから。
ひとしきり抱き締め合った後、そっと体を離した高杉が水脈の手を両手で包み込んで握りしめ、静かな声で言った。
「…先に帰っていろ。必ず迎えに行く。俺の心はお前に預けておくから、うっかり無くすなよ?」
「!?な、無くさないもん!うっかりなんて、絶対にないもん!な、無くしたりなんか、ぜ、ったいに、しな、い、もん…!!」
「…そうだな。すまん。…お前の心も、俺に預けてくれるか…?」
こくこくと涙が振り飛ぶほどに頷く。
「あ、預けるんじゃなくて、もう、あげちゃってるんだから、晋作さんのものだよ…!」
うわあぁぁん、と声を上げて泣いた。
未来で会えても、この、今この時の『高杉晋作』にはもう二度と会えないのだ。
高杉は、泣くなとは言わなかった。
ひたすら水脈が落ち着くまで抱き締めて、背中を撫で続けていてくれた。そっと、そっと。
******
そうして、水脈は帰ってきた。
最期の瞬間まで共にいるのだと信じて疑わなかったその人と別れて。
その決断を、二人をずっと見守ってきた桂も、少しの驚きと共に受け入れてくれた。
『晋作がそちらへ行くまでは私がしっかり見張ろう。だから安心して帰ると良いよ』
寂しげに微笑んで、仕方ないね、と言わんばかりの。
『桂さんがそう言うなら安心です』
『うん、安心して未来へ帰ると良い』
その言葉に、水脈は少し困ったように首を傾げた。
『どうしたんだい?』
桂が声をかける。
『…未来は、これから起こることだから“未だ来ず”って書くのだと、教わりました。これから起こりうる事だから、変えることも希望もあるのだと』
『………』
二人は揃って水脈の顔をじっと見つめている。
『…まだ起こっていない所に“帰る”って、“未来に帰る”って、変なの…』
ぽつりと呟いたら涙が零れた。
『…水脈…』
高杉はそれ以上何も言わなかった。
寄り添ってきた桂と二人で、ただ水脈を包み込んでくれていた。
******
あれから何年経っただろう。
来たときと同じぐらぐらする振動に眩暈を起こしながら辿り着いた平成の世は平和だった。
覚悟の上での帰還だったため、セーラー服を着ていたのでカナコにも不審に思われはしなかった。
…神社の草むらで倒れ込んでいた水脈が見つけられたのは、いつか試しに注連縄を揺らしたとき、探し回るカナコを不思議な白い光の中で見たあの時間から、ほんの僅か数分後だったらしい。
散々心配と叱責を喰らい、平謝りに謝りながらもどこか空虚な水脈に、カナコはすんなりと話題を変えて監督から一緒に怒られてくれた。
そんな忘れられない夏休みを終えて胸苦しい期待を抱えたまま卒業をし、水脈は大学をも卒業した。
…未だ、水脈の【未来】は来ない。
(晋作さん、まだ、私を見つけられないの?)
毎日期待をしては失望してうなだれる。
その繰り返しに水脈は次第に疲れていた。
大学を卒業して一般企業に入社して早くも3年。
配属された企画管理室の室長補佐として忙しい毎日を送っているが、心には常にぽっかり穴が開いている。
「水脈ちゃん、またぼーっとしてる」
「…っあ、ごめんねカナちゃん。なんだっけ?」
同じ会社の営業マネージメント部にカナコがいることだけが救いだった。
「ん、もう。ずっと九州支社にいた人が栄転でこっち来るんだって。すんごいやり手で営業成績No.1だってさー」
「…へぇ〜」
仕事帰りのカフェでのコーヒータイムは週末の決まり事。
その週にあった出来事を報告しあう。
毎日忙しく、ランチも一緒に出来ないことが多い二人はこうしてささやかに労いあう。
時には週末の休みの予定を打ち合わせたり、ただ単にお茶をしたり。
九州、と聞いてほんの僅か反応した心も、その後に続けられた名前には興味を失っていた。
「あー、上の名前しか書いてないや」
もう、これじゃぁ資料になんないじゃない、とカナコは総務部の手落ちにぶちぶち文句を言っている。
「まぁまぁ、どうせすぐに解るんだから良いじゃない」
「そいえばその人、仕事もやり手だけど、女関係もやり手だって噂だよ」
「…ふぅん…」
「…はぁ…」
全く興味を示さない水脈に、カナコは小さくため息をつき、
「水脈ちゃんもさぁ、そろそろ好きな人の一人や二人作ったら?毎日毎日仕事と家の往復でしょ?」
「ん、でもいいの」
上の空でいたのを見抜かれたか、カナコは考えなければいけないような言葉を振ってくる。
苦笑してそろそろ出ようかとテーブルの上のトレイを持ち上げ、席を立ったその時だった。