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□季由良様へ
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2時間が経過しようとしていた。

ストローを差したアイスティーはすべての氷が融けグラスには水滴すらもついていない。

暗く淀んだ空はシトシトと雨を降らせていたが時間で言えばまだ夕刻で、それを表すように店内には4組ほど客の姿もあった、だが、そのどれもが自分より後に来た客で更に言えば自分より後に来た客の中でも8組目の客だ。

クロコダイルは正面の席に視線を向ける。カウンターのある店内において向かい合いの席は一人で訪れるには不要のものだったが、クロコダイルとて何も一杯のアイスティーを楽しむために2時間も店内に居座っている訳ではない。

(待ち人は来なかった。)

脳内で幾度も反響させたその言葉は13度目にしてようやく胸の深い部分に収まった。

半分程も残っているアイスティーを一口だけ含み乾いた喉を潤してからクロコダイルは席を立った。

5度目の時には降り始めた雨が落ち着くまでと言い聞かせ、11度目の時には席を立ったがまたすぐに座ってしまった、今度こそは座るわけにはいかない。
当然ながらに予測していなかった事ではない、来ないことも予想はしていたがどこかで望んでいた、きっと奴も同じ思いを抱いていると。だが待ち人は来なかったのだ。

会計を済ませてしまうと重く沈んだ心が少しは晴れた気がした。

今頃待ち人は約束の事などすっかり忘れて船、あるいは街で有意義な時間を過ごしているに違いない、こちらの気持ちなど知りもせずに…!

雨の気配を感じたのは3度目の葛藤の際だった、天候のコロコロと変わるグランドラインにおいてあらかじめその日の天候を把握することは至難の業だ。
実際、クロコダイルが部屋を出た時にはカラリと晴れていて雨の降る要素など微塵もなかったのだから、つまるところクロコダイルは傘を用意してはいなかった。

雨に濡れる事を他の誰よりも厭うクロコダイルだったが、道の真ん中を歩いていた。シトシトと降り注ぐ雨は自慢のコートをぐっしょりと濡らし、シャツは肌へ張り付いたがこの時ばかりは気にならなかった。

分かっている、こんな事になったのはそもそも自分が原因であると。その約束が交わされたのは1週間前の招集会議の折りだった。








「なぁ鰐野郎、たまには夕食でも付き合えよ」

退屈な会議を終えまたそれぞれの船へと戻って行く顔見知り達を見送ってから席を立ったクロコダイルに薄ら笑いを浮かべたドフラミンゴが声をかけた。

丸まった猫背とド派手なピンクのファーコートが特徴的なこの男とまともに言葉を交わした事は数少ないがその特徴的な容姿と毎度凝りもせずに会議をぶち壊してくれる破天荒ぶりからこの男の印象は決して薄いものではない。

むしろ純粋な好奇心から始まった男の奇行に対する観察は最早会議の度の決まりごとのようになってしまっている。
ドフラミンゴも多少なり不審に思っているのだろう、最近の会議ではふとした拍子に視線が絡む事が多くなった。…気がする。

「テメェと食事とは、おれの品位を落としかねん行為だ」

会議の後にメンバー同士が食事に行く事自体は珍しい話ではない。実際にクロコダイルも鷹の目やジンベイと共に食事に赴いた事は幾度かあるが、ドフラミンゴとは未だ一度もなかった。

口をついて出た返答は本心とは違ったような気もしたが出た言葉は返っては来ない。

「フフフッ!前もそうやって断ったよなァ?この俺の誘いをだ、女だったら泣いて喜ぶところだぜ」

「…なら、その女と一緒に行くんだな」

不自然にならない程度に抑えられた間はクロコダイルの心境を最低限で知らせていたが、それに気付く者はおそらくこの広い海をくまなく探してもそう見付かりはしないだろう。

嘘に長けた男はその唇に乗せる言葉と共に自分の胸に感じた痛みをも嘘とした。

「相変わらずツレねぇ野郎だ、フッフッフ!会議中はあんなに熱の籠った視線を向けてくれてたってのによォ!」

馬鹿な。そう返そうとして瞬時にそれを言葉に出来なかったのはクロコダイル自身、その言葉に覚えがあったからだ。

(この男はどこまで気が付いている?)

押し殺し決して見せないように自分すらをも欺いて来た胸のうちは、自分でも気付かないうちにその視線に紛れてしまっていたのだろうか。
視線の先に移る相手にそれを悟らせてしまうほどに。

お得意の「軽口」を披露したドフラミンゴは返事の帰ってこない目の前の男に困惑していた。

もともとはつまらない会議をぶち壊してやろうと考えて起こした騒ぎに、自分を止めようとしたり説得したり、片や全く興味を示さなかったりとそれぞれの対応を見せるメンバーの中ただ一人、声を上げるでもなく、かと言って無関心でもなく自分の凶行をただ静かに見つめる男がいた。
それがクロコダイルだ。

咎めるでもなく、呆れるでもなく、ただ純粋な好奇心を向けられているのだと気付いたのは2度目の会議の時だった。
それに気付いた時はむず痒いような落ち着かない気分になったものだが、不快感が湧かなかった事に驚きを感じ、そしてその感情すべてを受け入れた。

それから先は我ながら単純なもので彼の興味を引こうと様々な手を尽くしてきた訳だが、会議の度に観察するような視線を向けてくる割には何故か食事の誘いにだけは応じないクロコダイルに本当にただの観察対象なのだと気付いたが一先ずはそれでも良いと考えていた矢先にこれだ。
何かマズイ事でも言ってしまっただろうかと考えるも残念ながら今の会話にそれは見つけ出せない。

「…なぁオイ鰐やろ…」

言いかけた言葉は最後まで告がれることなくドフラミンゴは半端に口を開いたまま硬直した。

今回も軽くあしらわれて終わるのだろうと考えての誘いだったが、その会話のどこかに、いや恐らくは最後の部分にであろうが珍しい反応を返したクロコダイルにドフラミンゴ自身どう対応したら良いか分からなくなっていた。
馬鹿が、と一言返してサッサと去ってしまうと思っていたのだ。
だが、そのクロコダイルはと言えば何かを考えるように眉を下げあまつさえ普段は血色の悪い頬を僅かに赤く染めていたのだからドフラミンゴとしても予想外のことである。

「お…」

再び声を発せようとしたドフラミンゴだったが今度はクロコダイルによってそれを中断させられた。
彼の右手がドフラミンゴの胸板を突き飛ばしたからだ。

そしてそのままクロコダイルは足早に部屋を出ていく。
呆けていたドフラミンゴも慌ててその背を追い部屋の外へと飛び出した。

「クロコダイル!」

長く続く廊下の先、何時の間にやら随分と遠くまで離れてしまったクロコダイルの背に声を上げ、ドフラミンゴは一種の賭けに出た。

「来週日曜!港町のカフェに2時半だ、良いか鰐野郎テメェが来るまで居座ってやるからなァッ!」

クロコダイルは一瞬立ち止まったが、そのまま振り返ることも返事を返すこともなく立ち去った。


  
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