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□嵐のあとで
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「楽園」と呼ばれるグランドラインの前半の海を超えレッドラインの向こう、グランドラインの後半の海こそが「新世界」だ。
レッドラインに阻まれた海の前半と後半とでは全てにおいて格が違う。
一度新世界を経験したクロコダイルにとってもそれは変わらず、世界で最も航海が困難な海と称される新世界の航路の真っ只中、クロコダイルの船は突如として起こった嵐に巻き込まれていた。
一時間前。そう、たった一時間前までは強風も無い穏やかな気候に恵まれていた船内は今や乗組員が慌しく甲板を駆け回っている。
波に揺れる船長室でクロコダイルは机から落ちかけた海図を鉤爪で押さえつけ新世界用のログポースを睨み付けた。三つのうちの船が進む進路を示した針は小刻みに揺れている。残る二つは大きく揺れているものが一つとどの針よりも穏やかなものが一つ。島の危険度を現す針の中で一番安全でも一番危険でもないルートを選んだのは、一時限りの乗組員共の力量を考慮してのことだったが、こんな大嵐に巻き込まれるとはツいていない。
砂の身から空気の湿気に敏感なクロコダイルでも新世界の急激な天候の変化には予測が追いつかない、だがそれでこそ航海である。

「一人落ちたぞぉお!」

甲板から悲鳴が上がる。乗組員の一人が波に攫われたらしい。これで三人目だ、苛立ちを隠そうともせずに舌打ちを零したクロコダイルは船員名簿の横に大きく三本目の線を書き足した。後で人数を確認しなければならない。
甲板の騒ぎは収まらず、これしきの事でと眉を顰めるとクロコダイルは脱いだコートをベッドへ投げ捨て甲板へと続く扉を開け放った。

「…ボス…ッ」

外に出た途端激しい雨と波飛沫が襲い掛かり体を濡らした。クロコダイルの姿に気付いたダズがすぐさま駆け寄り現状を報告する。
フォアマストの破損およびトップセイルに亀裂、船体の所々にも被害が出ているらしい。

「…フォアマストがやられたか…」

今のところメインのマストには被害は無いらしいが二番柱の損傷は航海において非常に痛い。
早く嵐を抜けなければ…。

「…ダズ、連中に伝えろ…死にたくなけりゃ…」
「なんだアレ!」

一際大きく上がった船員の声にクロコダイルは言葉を止めてデッキを見下ろす。
先ほどまで慌しく動き回っていた乗組員たちは動きを止め揃って嵐の海を眺めていた。

「船だ…!」

誰かが叫ぶ。

「嘘だろう!」
「こんな嵐の中あんな小船で!」
「化け物か…!」
「こっちに来るぞ…」

ざわつく船内に舌打ちを零しつつダズへ右手を差し出せば、意図を察したダズはその手に望遠鏡を手渡した。乗組員の望む先へとそれを向ければ確かにそこには小さな船の姿。
とても航海する気があるようには見えないその小ぶりな船に一際目立つ十字架が目に入る。次いでその先へ目を凝らした瞬間クロコダイルは目を見開いた。
望遠鏡の先で黄金の瞳と目が合った。
冗談だろう…。

「…鷹の目だ…!!」

乗組員の誰かの叫び声と右手から滑り落ちた望遠鏡が甲板に落ちる音が同時に聞こえた。

































「久しいなクロコダイル」

船長室に通されたミホークが渡されたタオルで髪を拭うのを横目で見やりつつクロコダイルは黙り込んでいた。
突然の来訪者に船内は一時嵐に巻き込まれた時よりも騒然としたが今はその騒ぎも収まり、ようやく抜けた嵐により船の受けた損傷の修復に取り掛かっている。先ほどまでの嵐が嘘のように静まり返った海の上で二人は約ふた月ぶりに顔を合わせた。マリンフォードの頂上戦争以来の再会である。
一応「恋人」の立場である二人ではあるが、クロコダイルの投獄後疎遠になっていたのは言うまでもない。

「何をしに来た」
「何、久々に主の顔でも拝もうかと思ってな」
「…嵐の中をわざわざか、ご苦労なことだ」

クロコダイルの嫌味に気付いているのかいないのか、ミホークは僅かに首を竦めたのみでそういえば嫌味の通じない相手だったとクロコダイルは肩を落とす。

「新しい船を手に入れたのだな」

乗組員は使えないようだが、と続けるミホークにまぁなと短い答えを返し船長室のソファに凭れる。次の港までの臨時の乗組員だ、幾ら数が減ろうがクロコダイルにとって大した痛手はない。

「思っていたよりも…変わらぬな主は」
「どういう意味だ」

髪を拭いたタオルをソファの縁にかけるミホークに小さく舌打ちを零しつつ尋ねれば表情を変えずにミホークはいや、と小さく零した。

「あの男の死は、主に少なからず影響を与えると思っていた。…おれの勘違いなら良い」
「……」

白ひげの事を指しているのだろう。その言葉に僅かに動揺はしたものの緩く首を振ってそれを誤魔化す。

「おれの手で殺したかったのは確かだがな。…人は死ぬ」
「ふむ…。主は嘘に長けているのでな…おれには真偽は読めん」
「ハッ。おれが嘘をついているとでも?」

馬鹿にするように両腕を広げてみせれば不意に近づいてきたミホークの視線がクロコダイルのそれと絡まる。吸い込まれるような目に居心地の悪さを感じながら相手の目に映る自分の姿を睨み付ける。全てを見通すようなその視線から逃げれば彼はそこに嘘を見抜くだろう。

「……そろそろ戻るとしよう」
「…はっ?」

てっきりあれやこれやと理由をつけて今日は泊まっていくだろうと考えていたクロコダイルは突然身を離して背を向けたミホークに声を上げた。
泊まっていって欲しかった、という訳では決して無いが、本当に顔を見せに来ただけの様子のミホークには驚愕を隠せない。

「言ったであろう。おれは主を見に来ただけだ」
「…何のためにだ!」
「クロコダイル」

部屋のドアに手をかけたミホークの声が静かなものであったのでクロコダイルはそれ以上の言葉を発することが出来ずに続く言葉を待つ。
まだ湿っている帽子を被り直した後ミホークは小さくため息を零した。

「おれの気持ちは変わっておらぬ。…恋人を案ずるのに理由が必要か」

また来る。

短く残された言葉の後、小さく音を立てて閉まった扉を呆然と眺めてからクロコダイルは脱力してソファに沈み込んだ。
ミホークが帰ったのだろう、甲板が僅かにざわめいて、やがて静かになった。

「…馬鹿か…」

顔が熱を持っているのに気付き右手を口元に当てる。先ほどの台詞が脳裏を駆け巡り、帰ったばかりの男の顔が思考を支配していた。

「……おれだって…そうだ」

呟く言葉は去った男には聞こえることはないだろうが、あの男がその関係を一部も疑っていないことは間違いないだろう。
嵐は過ぎ去ったというのにあの嵐のような男がクロコダイルへもたらす多くの感情は毎度彼の心を荒らしては熱い何かを残して去っていくのだった。














Fin

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