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□夢水泡となりて
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海を見た。
光を反射して輝く水面は蒼々としコプリと上がってゆく水泡は透き通り美しい。
蒼天の青とはまた違う少し緑がかった色は無限に広がる空とはまた違う温かさを帯びている。
静かに通り過ぎていく魚達は色とりどりに、悠々と泳いでいく姿はこの海の中、宝石のようにも見えた。
力の抜けた四肢を海水が柔らかに包み心地よい安らぎにまるで自分がこの海の一部にでもなったかのような錯覚を起こさせる。
もし、もし自分の身体がいつか滅びる日が来たのなら、この柔らかな蒼に溶けて本当に一部になれたなら、それはどれほどの幸せだろうか。
コプリ。
大きく水面へ上がっていく水泡は命の証だ。その水泡の出所には必ず命がある。
まだ、その時では無いのだと上へと導く。だが、いつかその時が来たら。
ゴポン。
息苦しさに導かれ上がっていく水泡を追いかける。浮かぶ。浮かぶ。

「はぁっ……!」

身体の痙攣で目が覚めた。見上げる天井は最早見慣れた自室のものだ。額に乗せられたタオルはすっかり温くなっていた。
なんて事は無い、昔の記憶だ。言い聞かせては見るものの心臓は激しく高鳴っている。何やら気分が悪い。
布団を押しのけて身体を起こすと額からタオルが落ちる。酷く喉が渇いているのに気がついた。
時折、夢を見る。それはこうして自分が弱っている時が大半で決まって同じ夢だ。
まだ自分が何も理解していない愚かだった頃の。

「……気がついたか」

何時から居たのかグラスの乗ったお盆を手に持った男がベッドサイドからそのグラスを差し出す。中には透明の液体。

「水だ。何も入れてなどいない」

飲め、と差し出されたグラスを奪い取り喉を潤す。冷えた水が喉を通り自然に胃へと落ちていく。それから漸く男と視線を合わせた。

「…何故テメェが此処に居る」
「暇つぶしに主を訪れたのだが風邪と聞いてな、珍しい事もあるものだと見学に来た」
 
 
悪びれる様子も無く返す男が揶揄では無く本気で言っているのは分かっている。
だが、このような場に客を、それもこの男を通すような真似俺が許さない事を秘書であるあの女は知っているはずだ。抑え切れなかったのだろう。
温厚に見えて、そうと決めたら勝手を通す男だ、そのような光景は容易に想像出来る。

「寝ていろ。酷い汗だ」

ベッドに乗り上げた男の無骨な手が額を拭う。そのまま静かにベッドへ押し戻されひやりとした手が落ちた前髪を優しい手つきで撫で上げる。心地良さに溜め息が零れた。

「魘されていた。…悪い夢でも見ていたのか?」

至近距離に近付いた男の目が問う。クラリと視界が揺れた。
悪い夢か…。先程の夢を嫌でも思い出す、あんな夢なんて事無いというのに。

「…クロコダイル?」

真っ直ぐにこちらを見据える男の目をぼんやりと眺める。意識が朦朧として男の姿は水中から見たかのように揺らいでいた。
あの蒼を思い出す。もう何十年も前に見た景色、今でも忌々しいほどにあれほどハッキリと夢の中に蘇るのだ。

「……俺は…お前が…」

確かにあれほどの悪夢は無いだろう。
もう、二度と見る事は叶わない景色だというのに…。
沈む。
ハクリと口が動いた。それが音になったのか理解するより先に俺の意識は闇に沈んだ。
 
 
 
 
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